うたのしくみ Season2 第10回 テイラー・スウィフト『We are never ever getting back together』

 2016年のグラミー賞はテイラー・スウィフトが3冠を達成しました。10年前の2006年にデビューした頃は、カントリー歌手として、バンジョーやスチールギターを多用する落ちついたカントリー・ロック調の曲を歌っていた彼女は、この数年、カントリーの枠にこだわらずにさまざまな曲調のポップスをヒットさせ続け、いまや全米を代表するポップス歌手となりました。
 今回取り上げるのは、そのテイラー・スウィフトの少し以前の曲、「私たちは絶対に絶対にヨリを戻さない We are never ever getting back together」(2012)です。グラミー賞の対象となった『1989』を経過したいま改めてきくと、ずいぶんとかわいらしい曲に感じられますが、それをあえて取り上げる理由の一つは、タイトルの長さにあります。

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 洋楽の邦題には長いもの短いもの、いろいろありますが、テイラー・スウィフトの「私たちは絶対に絶対にヨリを戻さない」は、まず異例といっていい長さでしょう。なんといっても、「絶対に」をわざわざ二回繰り返しているのがどうかしています。もっともこの曲は原題の方も「We are never ever getting back together」と長くなっているので、邦題の「絶対に絶対に」は「never ever」という語感を活かそうとした試みなのでしょう。
 こういう長いタイトルの曲について誰かと話すとき、みんなどう呼んでいるのでしょうか。たとえばビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツクラブ・バンド」のことは、「サージェント・ペパーズ」と略して話しますが、テイラー・スウィフトのこの曲については、いまだによい略し方がわかりません。TV番組「テラスハウス」で用いられたので、「テラスハウスのあれ」なんて呼ぶときもあるのですが、これは文章で使うにはあんまりなので、以下では「We are never ever」と呼んでおきましょうか。

 テイラー・スウィフトの大きな特徴として、しばしば「自身の経験を物語にした曲づくり」が挙げられます。テイラーはアルバムに収められた曲の詞のほとんどを自分で書いていますが、その中にはなるほど、ゴシップ紙に書き立てられる彼女と数々のミュージシャンたちとの華々しい交際や別れを示しているかのように聞こえる部分があります。たとえば「Shake it off」で、「わたしはやたらとデートをしてはすぐ別れる、少なくとも世間はそう言ってるよね、うんうん」といったフレーズが歌われますが、この「世間」の言っている内容は、そのままテイラーが世間で言われている内容に当てはまるように聞こえる。「We are never ever」にも、ケンカ別れしたカレに対して「わたしの曲よりいかしたインディーズのレコードきいてご満悦ね」と語りかけるフレーズがありますが、あたかも歌い手であるテイラー自身のことであるかのように響くこのフレーズは、おそらく多くのファンがにやりとする箇所です。彼女の元カレの中でインディーズ好きは誰だっけ、と詮索を始める人もいるでしょう。

 実際、テイラーの書いた歌詞について議論しているサイトをネットで検索すると、まさにこうした解釈のオンパレードで、この部分はあの元カレのことで、この部分はあの大失恋のことで、と、さまざまなリスナーがテイラーのプライヴェートと関連づける分析を行っています。

 しかし一方で、テイラーがプライヴェートを漏らしているかに見えるこうした歌詞の多くは、一見具体的なようでいて、実はどこにでもあるありふれた生活スタイルや恋愛の一コマに過ぎない。次々とデートを重ねている人なんて世の中にごまんといるし、インディーズにはまっている元カレだってそのへんにごろごろいるでしょう。血液型占いが、そのあたりさわりのない文章によってほどよく誰にでも当てはまってしまうように、テイラーの書く歌詞には、ほどよい具体性と曖昧性が兼ね備わっていて、彼女自身にもリスナーにもあちこち当てはまるように聞こえる、というのが実態ではないでしょうか。

 そんなわけで、これから、彼女の「We are never ever」のことを考えるわけですが、すでにうんざりするほど議論されている「テイラー・スウィフトの個人的経験と詞との関係」については論じません。そのかわりに考えたいのは、もっと簡単なことです。
 それは、「We are never ever」の「We」とは誰のことか、「私たちは絶対絶対にヨリを戻さない」の「私たち」とは誰のことか、ということです。
 …と、書くとさっそく、なんだ、結局テイラーと元カレのことじゃないか、と思う方もおられるかもしれませんが、まあ、もう少しおつきあい下さい。

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 まずはこの曲の冒頭から、順を追ってきいていきましょう。
 歌は、語り手による、彼についての描写で始まります。

最初に別れたとき、思ったの
最後にしよう、もううんざり
だって、ひとつきもしないうちに 
突然「少し『距離』を置きたい」
はぁ?

  といった具合に、打ち解けたガールズ・トークの口調で、いい加減な彼の行状が綴られます。この最初の部分は、ずっとテイラー一人の声で歌われます。次はBメロで、

うー、今夜も電話が鳴ったけど
うー、いま言ってやる言ってやるわ

 となるのですが、ここも「うー」のところでユニゾンのコーラスが入る以外は、テイラー一人の声です。
 さて、問題はサビに入ってからです。

 We are never ever ever getting back together.
 私たちもう絶対ずっとずっと元には戻らない

 字面だけ見るなら、ここでの「私たち」は当然、語り手とろくでなしの彼のことだろうと思われます。でも、歌われ方はどうでしょうか。
 このサビでは、突然、ボーカルがどんと増えます。しかもこの「私たち」を含むフレーズはユニゾンで歌われています。つまり、ハーモニーを作るための声ではなく、複数の「私」で歌っていることを強調するしくみになっているのです。
 さらにおもしろいのは、二度目の「We」です。ここで、メロディが「うぃー、いー!」とはしゃぐように跳ね上がるのですが、あまりにはしゃぎすぎて、跳ね上がったあと、メインのボーカルから分かれてしまいます。二手に分かれるこの歌い方によって、「We」が複数の「私」によって歌われていることは、さらに強調されます。それにしても、もし「We」が、「絶対にずっとずっと元に戻らない」私と彼のことだとしたら、このはしゃぎっぷりは、あまりにも深刻さにかけているのではないでしょうか。

 歌声とは別に、リズムの刻まれ方にも注意してみましょう。直前のBメロではベースドラムの4つ打ちとベースの8つ打ちによってリズムが均等に刻まれてきたのに対し、このサビでは、ぐっと印象が変わります。その理由は、ベースが頭の二拍だけを打っていること、そして三拍目にエコーのきいたハンドクラップ風のスネア音が加えられているせいです。この組み合わせによって、バックのリズムは、ドンドンパンドンドンパン、というタメのきいたビートとして響くのです。さて、このビート、なんだか聞き覚えがないでしょうか? そう、ドンドンと来て三拍目にハンドクラップがくるこの感じ、まさにクイーンの「We will rock you」です。そういえば「We」と歌われるのも、その声が複数である点も、「We will rock you」そっくりです。この部分のアレンジが、クイーンの名曲を想起させるべく作り込まれていることは明らかでしょう。もっとも、ここには前回書いたようなクイーンの歌う細かい内容を想起させるほどの深刻さは感じられない。もう少しゆるやかに、スタジアムで行われるような、大合唱的な響きを引用しているといったところです。

 「私たち」ということばが複数の「私」で歌われること。ハモるのではなく斉唱で歌われること。それもはしゃぐように、半ば弄ばれるように歌われること。そこにクイーンの「We will rock you」の響きがうっすら感じられること。これらの特徴から、きき手は、「私と彼」という「私たち」とは異なる、もう一つの「私たち」に気づくことになります。それは、「私」と同じように、彼にうんざりしている「私たち」の集まりです。ここで「私たち」と言いながらはしゃいでるのは、ろくでもない彼など放り出し、つまらない悩みから解放された「私たち」であり、この歌はそんな「私たち」による、彼抜きのパーティー・ソングなのです。「We will rock you」を想起させるこの「We are never ever ever getting back together」というフレーズは、複数の「私」に斉唱されることによって、彼に決定的な一撃を食らわす合唱となり、彼に愛想をつかせた者たちによるアンセムとなるのです。

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 さて、これで最初に掲げた「私たち」問題は決着がついたかに見えますが、話はもう少し複雑です。というのは、二番以降、歌にはいくつか奇妙な現象が見られるからです。
 その一つは、歌の端々に現れる、テイラーの声のはみ出し方です。たとえば、二番の「わたしのよりずっとクールなインディーズ・レコードでご満悦ね」というフレーズでは、バックにテイラーのものとおぼしき笑い声がきこえます。また、二番のサビの部分では、一番と違ってハモりが加えられており、しかも、合いの手として「We」とテイラー一人の声が挿入されたり、コーラスの中から一つの声が独立して延びていきます。さらに最後の「getting back together」の部分で、メインボーカルは主旋律から離れて浮かれ出し、続く間奏の「うー、ううううー」では「Yeah」と合いの手が入ります。いちばん最後のサビにいたっては、「NO!」という絶叫とともに、テイラーの声の一つが他の声から離れ、自由に振る舞っています。つまり、後半では、曲のあちこちにテイラー一人の声がはみ出ることによって、複数の「私たち」とは別の、もう一つの「私」が浮き出る格好になっているのです。

 もう一つは、歌のモードの変化です。二番にが終わると歌は

I used to think that we were forever, ever
and I used to say “Never say never…”

 と過去の回想に入ります。この歌のキーである「never」「ever」ということばが、ここでは「forever, ever」(ずっと一緒に)「never say never」(無理だなんてけして言わないで)と逆の意味に用いられており、歌詞の上でもおもしろい部分です。しかしもう一つ重要なことは、ここでテイラーが「think」「say」「never」という、自分の過去の行為や行為内容を表すことばを、一人で、ぐっとスイートに歌っていることです。この回想に出てくる「私たち we」は、明らかに語り手と彼とを指しているように響きます。
 回想に続いて、アパートの一室を思わせる狭い空間のリバーヴとともに、テイラーのやや低い声で電話口調が挟まれます。これらの回想、電話口調はともに、複数の「私」から切り離された、テイラーの個人的な語りを演出しています。電話口調の語りの中でも「we are never getting back together」というフレーズがすらすらと述べられているのですが、それは単に歌と同じフレーズを繰り返す行為ではなく、複数の「私」によって歌われた「we」を、「私と彼」として個人的に語り直す行為と見ることができるでしょう。
 つまり、この曲全体は、単純に「私たち」によるアンセムとなっているわけではなく、彼に別れのことばを叩きつけてせいせいしている「私たち」と、「私と彼」としての「私たち」という二つのモードの間で揺れ動く構造になっているわけです。

 この二重性を決定づけるのが、サビの最後に置かれた「We are never ever ever ever getting back together」というフレーズの歌われ方です。「ever」が一つ増えているので、歌詞だけを見ると前よりももっと否定が強くなっているようですが、実際にきくとその印象は違います。
 注意したいのは、この部分、日本語では「絶対に絶対にヨリを戻さ『ない』」と否定語が最後にくるのですが、英語では先に否定語の「never ever ever ever」が来ていることです。そして、このサビの最後では、否定語を含む前半部分「We are never ever ever ever」は複数の「私」で歌われるのに対し、後半の「getting back together」は一人の「私」で歌われているのです。さらには、例の「We will rock you」を思わせるリズムもまたこの最後の部分ではブレイクされ、ボーカルを一人置き去りにします。
 これら周到なアレンジによって、最後の「getting back together」は、前半の否定語から切り離されます。そのため、最初は一続きにきこえる「We are never ever ever ever getting back together」が、何度もきくうちに、「私たち」による「We are never ever ever ever 絶対ずっとずっとずっと(戻らない)」という声と、「」による「getting back together 元に戻りたい」という声との綱引きにきこえてくるのです。

 このしくみのおかげで、「We are never ever」という曲は、単なる能天気なパーティーソングからもただの失恋ソングからもまぬがれ、微かな陰影を伴った佳曲となっています。

 そしてこうした陰影をしるしづけるように、曲の最後の最後には、もう一つのききどころが埋め込まれています。それは「together」のあとに吐き出される、ため息ともはしゃぎ声ともつかぬ「ンハ」という声です。
 もし、「私たち絶対ずっとずっとずっと元には戻らない」ということばを全力で言い切ったなら、このような声を吐くだけの息は残っていないはずです。「getting back together」ということばを短く切り上げたあとに放たれるこの不思議な声は、まだ語り手には言うべきなにものかが残されていること、「We」をめぐる葛藤の果てにまだことばにできない思いが隠されていることを、示していると言えるでしょう。

ロゴ:平松るい / 文 : 細馬宏通

        
細馬宏通
細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年生まれ。現在、滋賀県立大学人間文化学部教授。 専門は日常会話の身体動作研究とメディア史。介護、手話会話、演劇、ゲームなどさまざまな場面で人の動作について考える一方で、明治期以降の塔や絵はがきの果たした役割について論考しています。著書に『浅草十二階』『絵はがきの時代』(青土社)。バンド「かえる目」では、ボーカルと作詞・作曲担当。 ブログ:http://12kai.com/wp/ かえる目:http://12kai.com/kaerumoku/