うたのしくみ Season2 第8回 WM、もしくは『マッドマックス怒りのデスロード』

 こんにちは。
 ずいぶんご無沙汰してました。

 ご無沙汰している間に何をしていたかというと、今をときめく「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を見てきたのです。見てすぐに見たくなって、翌日も観に行きました。いやあ、マッドマックス怒り、すばらしい。映像も音もすばらしい。しかし、何といっても、ことばがすばらしい。とにかく台詞のあちこちが立っている。まるで2時間にわたる音楽付きのリリックをきいているみたいだ。なんて日だ。なんてラブリーな日だ。

 そんなわけで、今回取り上げるのは「マッドマックス 怒りのデス・ロード」という「うた」です。

LINK

 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は、いきなり名乗りから始まります。「名前はマックス。世界は火と血。」ここで、「マックス」という名前は「マッド・マックス」という威勢のよいタイトルからは切り離されて、まるでタロウやヒロシのような、ごくありふれた名前として響いています。英語ではこうです。

 My name is Max. My world is fire and blood.

 ぐっとくるフレーズです。My と is という音のサンドイッチによって、二つの文は音楽のように対になります。Myとisに挟まれた、name という音のシンプルさと、worldというぐにゃぐにゃと前後に動く舌の動きとが対比される。どこにでもいる平凡な「名前 name」が、火と血の「世界 world」に放り込まれた。その感覚が、音にも表れている。そして、サンドイッチからはみ出た末尾には、Maxというキリのいいことばと、fire and bloodという長いことばとが置かれて、マックスのとるにたらなさと、火と血のむごたらしさが対比される。

 このマックスのことばに続けて、すばやく物語の背景を述べるかのように、男女の声があちこちから響きます。女の声は、こう言います。

世界は水不足に陥っている
いまや水戦争(水戦争)」

 さて、これらのことばは、英語で声にすると、ある明快な響きを持っていることがわかります。

The world is actually running out of water.
Now there’s the water wars (water wars)

 前の文は「the world」で始まり「water」で終わっている。次の文は「water wars」を繰り返している。ワールド、ウォーター、ウォーズ。世界というWが、WaterのWを求めるWarsのWによって引き裂かれている。「Water Wars」は映画のメインテーマであると同時に、きく者にWの音を印象づけるしくみです。

 映画がWという音を基調としていることは、続きをきけばいっそうはっきりします。マックスのことばはこう続くからです。「かつて、わたしは警官だった。ロード・ウォーリアーとして正義を追い求めていた」。現在のマックスがかつての「警官」という職業からも(「マッドマックス2」のタイトルでもある)「ロード・ウォーリアー」の地位からも切り離された、丸裸の存在であることを示すナレーションですが、英語はこうです。

 Once, I was a cop. A road warrior searching for a righteous cause.

 綴りこそ「Once」ですが、音はWで始まっている。そこから要所要所に「was」「warrior」とW音が入る。

 マックスという過去の名に替わって繰り返されるWの音。この構造が決定的となるのは、彼が映画の間中悩まされるフラッシュバックです。この映画の中で、彼のことを「マックス」と呼ぶことができるのは、この、フラッシュバックの中で放たれる娘と妻の声だけです。

子供:どこなの、マックス?
女:マックス・ロカタンスキー…

 「頭の中を這い回る」これらの声を、彼はこう表します。

Worming their way into the black matter of my brain.

 Worming their way. 頭の中を移動する芋虫 worm のごときむずむずした触感とその軌跡が、二つのWの音で表されている。ここにいたって、もはやWの音は、この映画の中で決定的な役割を果たしていることがわかります。
 このとき映像は、これらの子供や女の声に、トカゲの這い回る動きを重ね、そのことで声がworming their wayするさまを表しています。さらに、次の場面では、これらの小さな動きはそのまま、砂漠を疾走する彼の車と、彼を追いかけるウォー・ボーイたちの動きへと拡大されます。まるでこの荒野 Wasteland が彼の頭の中であり、そこを這い回るウォー・ボーイ War Boys の雄叫びによって、彼の思考が掻き乱されているかのように。
 そういえば、映画の中で、頭に付けられた鉄製の覆いを取り去ろうと、マックスが後頭部をずっとヤスリで擦っている場面がありますが、あの執拗な動きは、まるで触れることのできない頭の中を掻き続けているかのようでした。

 Wの禍々しい響きは、イモータン・ジョーの最初のことばにも満ちています。「いまふたたび Once again、われら we は戦闘車 War Rig を駆ってガスタウンからガソリンを、弾薬畑から弾薬を取り戻す。」そして彼はウォー・ボーイたちにwの音で調子を取りながらこう告げます。「わが半身たるウォー・ボーイはわたしとともに駆る my half-life War Boys who will ride with me」。彼は砦から滝のように放たれる水 Water の支配者でもありますが、そのもったいぶった、しかも吝嗇な滝流しのおかげで、民は水に狂乱し、半ば水に中毒しています。

 Wで始まるもう一つに重要なことばが、ニュークスを始めウォー・ボーイたちが繰り返す「見届けろ! Witness me!」です。単に「見ろ! Look at me」ではなく、「Witness me!」ということによって、W音は荒野 Wastelandを這い回る Worming ウォー・ボーイたちの終結点を目撃者 Witnessたる観客に刻印します。
 狂信的なニュークスのふるまいは、やがて赤毛の女、ケイパブルと近づくことによって少しずつ変化していきます。ケイパブルがニュークスをどのように見届けるか、そのときケイパブルがどんな身振りをするかに注意すれば、witness のWの響きが、物語の中でどのように変化しているかを知ることができるでしょう。

 このように、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は、全編、Wの響きによって這うように綴られる戦いの物語であり、「われら荒野をさまよえるものたち we who wander this wastland」がWater を Wars から救済せんとする物語と見ることができるでしょう。

***

 さて、この映画がいかに音韻を意識的に扱っているかを考えるために、W以外の音もいくつか見ておきましょう。

 まず耳につくのは、Vの音です。ウォー・ボーイたちは、Vの音で始まる3つの単語に魅せられています。それは「ヴァルハラ Valhalla」であり、「V8」であり、「車 vehicle」です。ヴァルハラはイモータン・ジョーがウォー・ボーイを駆り立てるときの殺し文句であり、ニュークスはヴァルハラへのあこがれを繰り返し口にして車を駆ります。そしてウォー・ボーイたちは、イモータン・ジョーへの忠誠とV8への熱狂を示すべく、腕を高く掲げて組み、自らの身体によって「V」の逆さ文字を示しながら「V8! V8!」と連呼します。このシーンで、Vは視覚としても聴覚としても、見る者に深く刻まれます。
 一方、フュリオサや東の女たちにとって、Vの音は全く別の意味を帯びています。フュリオサは東の地で名乗りをあげるときに、自分を「ヴヴァリニ Vuvalini の一族」だと叫びます。彼女を含む東の女たちにとって、Vは一族に刻まれた属性であり、それはウォー・ボーイがあこがれや欲望の対象にVを見いだすのとは、対照的です。

 Bもまた、重要な音です。上下の唇を破裂させて放たれるBは、人をモノ扱いする情け容赦ないイメージと関わっています。その象徴が、マックスの別の呼び名、「輸血袋 Blood Bag」です。Nuxを始めウォー・ボーイによって繰り返されるこの二つのBを持つことばによって、見る者はBの無慈悲さを頭に叩き込まれます。マックスだけではない。イモータン・ジョーに囲われていた女たちは「産む家畜 Breeding stock」、すなわちブリーダー Breeder として扱われ、男たちは「戦闘消耗品 Battle fodder」と呼ばれます。生まれ来るはずだったスプレンディッドの赤ん坊は、パーフェクトな「a baby brother」だったと語られるのですが、「生命機械屋 The Organic Mechanic」という奇妙な名前の取り上げ屋が口にすることによって、babyということばまで、非人間的な響きを帯びます。

 生命機械屋の口にする禍々しいBの響きは、女たちがイモータン・ジョーにあてた、babyをwarから切り離す次の書き置きと対比的です。

わたしたちの赤ちゃん BABIES は戦闘指導者 WARLORDS にはならない
わたしたちはモノ things じゃない

 この世界では、破裂するBの力を借りるように、弾薬商人 Bullet Farmerのまき散らす弾丸 Bullet が銃 Big Boy によって放たれる。Bは生き物をモノ things 扱いする響きであり、生き物に植え付けられる「悪の種 antiseeds」の響きです。ウォー・ボーイのBもまた、命短い彼らに植え込まれた悪の種と言えるかもしれません。

 この、禍々しいBからの「救済 redemption」を目指して、フュリオサは「東へ East」と命令を下します。「B」から破裂音を除いた音は「E」。長く引き延ばされるその音は、彼女が密かに育んできた救済のしるしであり、それは「緑 Green」や「種 seed」の響きとつながっています。

 映画中、このEの音を印象的に想起させる場面があります。それは、ニュークスがウィンチを使って泥から車を引き揚げようとするときのやりとりです。

ニュークス:あ、あそこに高いのがあるだろう、あいつの向こうにくくる。
ケイパブル:「木 the tree」って言いたいのよ
ニュークス:そう、「木 Tree」だ。

 このやりとりから、ニュークスは「木 Tree」ということばを知らなかったことが分かります。それが証拠に彼はあとで、この木を「木っていうやつ the tree thing」と呼びます。ニュークスにとって、E音は、ハンドル wheel であり、ヴィー・エイト V8であり、車 vehicle という機械の世界でしかなく、「木 Tree」という、GreenSeedsにつながる植物的Eの響きは、彼にとって未知の領域でした。そして、ケイパブルはおそらく、このEの交換を経ることによって、ニュークスにとって特別な存在になったのです。

 もう一つEの音が印象的な場面が、東の女たちとフュリオサたちとの出会いの場面です。東の女の一人が、ダグの顔に触れて、「まあ、こいつは歯 teeth が全部あるよ!」と言います。この場面は、teetheastというEの邂逅によって、二つの世界を結びつけているのです。

 ちなみにこの「歯 teeth」を検分する女は、あとでダグにこっそり鞄を見せながら、こう言います。

女:来なさい。ちょっと見てごらん (Take a peek)。
ダグ:種だわ(Seeds)。

 ここでもまた、Eを交換する会話がなされています。そしてこの小さなやりとりによって、女は二つのEを持つ人、すなわち「種持つ人 the Keeper of the Seeds」であることが明らかにされるのです。

 最後にもう一つ、重要な音を指摘しておきましょう。それは、Mです。上下の唇を柔らかく開くMの音は、母なるものと関わっています。それが証拠に、生命の液体である母乳は「Mother’s Milk」と二つのMで呼ばれます。さらにフュリオサたちの出自であり目的地でもある「緑の地」は「The Green Place of Many Mothers」と、やはり二つのMで呼ばれます。Mは映画の中で、女性的な響き、母的な響きを構成しているのです。しかし、この世界において、しかし、この世界において、母性は一人の男に支配されており、彼は、自分の名前に二つのMを独占して「不死Immortan」と名乗っています。
 ここで、マックスのMが、この世界の住人によってずっと発音され続けないこと、それとは対照的に、妻と娘のフラッシュバックが呪いとも誘いともつかぬ方法でマックスのMを呼ぶことを改めて思い出しておきましょう。

 彼はフラッシュバックと向かい合い、再び、自分の名前に埋め込まれた柔らかいMの響きを、この世界で取り戻すことができるのか。冒頭でつぶやかれる「My name is Max」という、二つのMを持つことばは、この狂おしい物語「Mad Max」の、隠れた鍵と言えるでしょう。

ロゴ:平松るい / 文 : 細馬宏通

        
細馬宏通
細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年生まれ。現在、滋賀県立大学人間文化学部教授。 専門は日常会話の身体動作研究とメディア史。介護、手話会話、演劇、ゲームなどさまざまな場面で人の動作について考える一方で、明治期以降の塔や絵はがきの果たした役割について論考しています。著書に『浅草十二階』『絵はがきの時代』(青土社)。バンド「かえる目」では、ボーカルと作詞・作曲担当。 ブログ:http://12kai.com/wp/ かえる目:http://12kai.com/kaerumoku/