うたのしくみ Season2 第7回 ロボットをうたう

 唐突ですが、ロボットの歌、というと何を思い出しますか?

 私の場合は、いささか古くて恐縮ですが、『ロボット・マーチ』です。これはTVアニメ「鉄腕アトム」が放映された当時、1964年に発売されたソノシートに入っていた曲で、たぶんアニメの中でもたまに流れてたんじゃないかな(うろ覚えですが)。歌っていたのは上高田少年合唱団。幼稚園にあがる前の私は、彼らの声を、子ども、というより、ちょっと年上のお兄さんの声という感じできいていました。未来のことを歌っているお兄さん。ところが、そのお兄さんたちが歌っていた未来は、「科学の子」を褒め称える明るい主題歌とは違って、なんともぎくしゃくしたものでした。

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ロボットまえへ ドンドコドンドンドン
ロボットあとへ ペッペケペッペッペ
ロボットすすめ ランララランランラン
気はやさしくて 力もちさ
のまず くわず はたらく
あつさ さむさ へいきさ
ロボットすすめ スッタカタッタッタ
火のなか 水のなかも

(『ロボット・マーチ』作詞:谷川俊太郎 作曲:高井達雄)

 オノマトペを多用して親しみやすいふりをしているものの、理不尽な号令の繰り返しといい、「のまずくわずはたらく」というフレーズといい、どうにも不気味な歌詞です。両親はドンドコドンドンドンとかスッタカタッタッタをさも楽しそうに歌ってうながしてくれたのですが、わたしは主題歌に続けて流れるこの曲がなんとなく苦手で、なんとなく気分がすっきりしませんでした。
 二番には「こわれるまでの いのち」三番には「にんげんまもる さだめなのさ」なんてフレーズもあって、歌い進むほどにロボットの哀れさと人間の身勝手さはつのり、歌の不穏さはいやが上にも増していく。今なら、作詞家である谷川俊太郎が、人間と機械文明の申し子であるロボットとの関係を、ちょっとアイロニカルに描いたものである、といった説明を述べることができますが、当時はそんなことを言える年齢でもない。「どんどこどんどんどん」なんて明るく歌っているつもりなのに、気持ちにはなぜか確実に影がさしてくる。そんなわけで『ロボット・マーチ』はちょっとした「トラウマ・ソング」でした。

 この曲のことは、大人になって長いこと忘れていたのですが、ある一枚のアルバムをきいていたときに、突然思い出しました。そのアルバムとは、Phew & 山本精一幸福のすみか』です。名曲だらけのこのアルバムの中に、そのタイトルもずばり『ロボット』という曲があるのですが、その中で、Phewが、あの独特の声でこう歌うのです。

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ロボットどんどこどん
ロボットどんどこどん
昔は音楽が好きだった
今は髪の毛が大好き

 「どんどこどん」という突き放すようなオノマトペをきいて、私が『ロボット・マーチ』を思い出したのは言うまでもありません。私と同世代のPhewは、もしかしたら「ロボット・マーチ」をきいたことがあったのでしょうか。その由来はともあれ、わたしには、幼いときにうっすら感じていたあの曲の不穏さが、時を経て、はっきりした形で目の前に現れたような衝撃でした。

 以来、「ロボットどんどこどん」というフレーズは、Phewの歌声を伴って、ことあるごとに頭の中で鳴るようになりました。わたしはなぜこのフレーズから離れられないのだろう。これという確かな理由はわからないけれど、一つだけはっきりしていることがあります。それは「ロボットどんどこどん」ということばそのものの中に埋め込まれている、「オ」の響きです。このフレーズでは、ずっと「オ」の口の形が繰り返される。全部オ段でできている。まるで、ロボットとは「オ」から離れられない存在である、とでも言うように。そういえば、山本精一が「ROVO」というオ段の音でできた名でバンドを組んでいるのも、どうも偶然とは思えない。

 なぜ「ロボット」は「オ」でできているのか? そしてなぜ「どんどこどん」と歩くのか?

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 このように「ロボット」の歌にいろいろ思うところのあるわたしにとって、さらに気になる歌が2014年に現れました。それが今回取り上げる坂本慎太郎あなたもロボットになれる feat. かもめ児童合唱団」です。




 坂本慎太郎は、ゆらゆら帝国時代に『ロボットでした』という歌を作っており、しかもそこには「こころここにはない」というリフレインが現れます。「こころここ」。わあ、全部オ段だ。おそらく彼にとっても、「ロボット」ということばとそれを構成するオ段の響きは、何かのっぴきならない存在なのだろうと思われます。その彼が、ソロになってまたしても「ロボット」について歌っている。

 歌は、意外なほどの明るさに満ちています。バンジョーの軽快なリズムとスチールギターのドリーミーな響きに乗せて、児童合唱団が集い歌う。この、いまだかつてない取り合わせでできた不思議な曲については、以前、CDジャーナルという雑誌で坂本さんとの対談の中でもあれこれお話したのですが、今回は、そのときには取り上げなかった点も多数含めて、一つまとまったことを考えてみようと思います。

 まずは出だしをきいてみましょう。

眉間に小さなチップを埋めるだけ
決して痛くはないですよ
ロボット 
新しいロボットになろう

 フレーズの頭を見てみましょう。「」けんに「ちい」さな「」っぷをうめるだけ、と、もうしつこいほどにイ段。さらに追い打ちをかけるように、けして「」たくはないですよ、とまたイ段がくる。もう一つおもしろいのは、この二行のフレーズの中には、助詞の「を」を除くと、まったくオ段が含まれていません。
 この、イ段過多オ段過少のフレーズのあとに、「ロボット」というひとことが歌われます。純粋混じりっけなしのオ段でできたことば。あたかもチップ埋め込み前:非オ段/埋め込み後:オ段を対比するかのように。

 続く四行はどうでしょう。

不安や虚無から解放されるなら
決して高くはないですよ
ロボット
素晴らしいロボットになろうよ!

同じようにフレーズの頭を見てみましょう。「」あんや「きょ」むから「」いほうされるなら。今度は、ウ段→オ段→ア段と、徐々に口が開いていきます。そしてもう一度口を大きくあけて、けして「」かくはないですよ。歌詞内容のみならず、口の形もまた解放に向かっている。しかし、開放されたかに見えるその口は、「ロボット」とオ段の型にはめられる運命にあるのです。

 ここで、かもめ児童合唱団の歌声について触れておきましょうか。

 「ロボット」というフレーズの酷薄さをさらに高めているのが、あまりにもイノセントな合唱の声です。通常の合唱団では、ことばの音をきれいにそろえる傾向があり、その特徴は促音便において顕著に表れます。なぜなら、促音とは一種の無音であり、無音の始まりと終わりをそろえることは、合唱団の技術の現れでもあるからです。おそらく、この曲をどこかの合唱団で何度も練習してもらったなら、「ロボット」のところは、「ロボ」でぴったりと声が切られて、「ト」の発音がきれいにそろえられることでしょう。
 ところが、かもめ児童合唱団の場合は、少し違います。この合唱団では、発声法や声のタイミングや音程がぴったりと揃うことよりも、一人一人の個性や自発性を重んじており、そのため、歌のあちこちで、それぞれの人のもつ微妙なタイミングのずれが現れています。「ロボット」のところも、「ロボ」というフレーズの終わりは歌い手によってわずかにずれており、そのおかげで、「ッ」の部分に少しく母音の「オ」がはみ出している。そのせいでしょうか、「ロボット」はちょっぴり規格からはずれているような、その分、まだ人間味を残しているようなけなげさを醸し出しています。醸し出してはいますが、オの形なのです。うー。

 かもめ児童合唱団独特の歌い方は、職名を次々と唱えるところにも表れています。ここで、それぞれの歌い手は、いわゆる快活な子供らしいハキハキとした歌い方ではなく、なんだかよりどころがないような頼りない声で歌っている。しかしそのおかげで、それぞれのロボットはかえって弱々しい存在として響き、この歌の軽さと不気味さを余計に強調しています。

 実はこの歌は、坂本慎太郎のソロアルバム『ナマで踊ろう』では彼のソロとして歌われているのですが、そのバージョンと比べると、さらに興味深い違いが浮かび上がってきます。それは、文末に現れる「う」です。

 「あなたもロボットになれる」に限らず坂本慎太郎は「なろう」「しよう」「踊ろう」といった文末の「」を、はっきりと発音します。文末で口がすいっと閉じる独特の歌い回しは、彼の歌の大きな特徴になっています。ところが、合唱団の子どもたちには、おそらくこの文末の「う」を強調するような言い方や歌い方は日常にない。だから「ロボットになろう」というとき、坂本慎太郎バージョンでは「なろ『う』」と語尾に余韻が残るのに対して、かもめ児童合唱団バージョンでは「なろ」と語尾がオ段のままはかなく消えていきます。ここにはロボットになった子どもは、もうオ段の時空に囚われたまま戻らないような怖さがある。

 そしてこの曲中、最も唐突なフレーズが次にやってきます。

日本の二割が賛成している
不安や虚無から解放されるという……

 「」ほんの「」わりが「さん」せいしている。ひらがなで書けばわかりますが、ここには二二三という数の名前が調子よく含まれている。そして、「に」というイ段から「さん」というア段へと「解放」されている。

 ちょっと話は横道にそれますが、そもそも日本語で数を数えるとき、わたしたちの口は、この「」段から「」段への開放を繰り返しています。「いち」「にー」「さん」ほらね。もちろん、「さん」の次は「」とまたイ段に戻るわけですが、何かを始めるときの号令ではこの「し」はしばしば省略されて、かわりに「はい!」が挿入されます。「いち、にー、さん、はい!」。これなら、イからアの解放感は、イに戻ることなく保存されます。
 数詞を発明した人々がいったいどんな理由で「いちにーさん」という音を選んだのかは定かではありませんが、少なくとも現代のわたしたちは幼い頃からその音に親しみ、誰かと何かをするたびに、その音を繰り返しています。そしてそのたびに、イからアへの解放を感じている。さらに踏み込んで言うなら、わたしたちは「いちにーさん」に埋め込まれているイからアへの解放感を、ものごとを始めるときの力として利用している。その、わたしたちが子どもの頃から叩き込まれている数の数え方をなぞるように、この歌では「に」ほんの「に」わりが「さん」せいしており、子どもがそれを歌っているというわけです。

 そしてだめ押しに、子どもたちの声は、この世のさまざまな職名を唱えていきます。弁護士、魚屋、歯科助手、お米屋、税理士、おもちゃ屋、アイドル、警察…。「さかなや」のようにア段に満ちた職業名も、「ぜいりし」のようにイ段過多の職業名も、結局のところ「ロボ」という二つのオ段に落とし込まれる。どうやら、この歌は、歌う人の口にさまざまな母音の冒険をさせておきながら、結局はオ段の牢獄に歌うものを誘い込むという、油断ならない構造を持っているらしい。

 各職業が唱えられるごとに合いの手のごとくつけられる擬音も、簡単な楽器音一発だったり、ときには無音だったり(お米屋なのに!)、無音かと思ったら暴発する銃の如く的外れなタイミングで鳴らされたり(警官なのに!)、とても職業の描写とは思えない。まるで、それぞれの職業から職能が奪われてただの記号となってしまったかのように、職名がオ段化し、簡素な合いの手化している。

 人の社会がロボットによって支配される、あるいは人がロボット扱いされるフィクションはこれまでいやというほど作られてきました。だから『あなたもロボットになれる』の扱っている内容じたいは、とりたてて新しいものではない。にもかかわらず、この歌がそうした従来の話にはない奇妙な感触をもたらすのは、話の内容のみならず、その音韻の形式において、この歌が「ロボット」にこめられているオ段を志向しているからなのかもしれません。

***

 考えてみると、英語圏の「robot」比べて、日本語の「ロボット」は、オ段に憑かれた人にとってはお得です。なぜなら、日本語では語尾のtの音に母音のオがくっついて「ト」となるため、英語圏の「robot」という音よりもさらにオ段過多だからです。
 そんなものが何の得になるのか、と思う方は、MTV華やかなりし頃のスティクスのヒット曲「Mr. Roboto」をきくといいでしょう。スティクスは母国語の英語ではなく、わざわざカタコトで、まるで日本語のオ段に取り憑かれたかのように、こんな風に歌っています。「ドモアリガットミスターロボット、ドモ(ドモ)、ドモ(ドモ)」。彼らの耳には、「ロボット」の「ト」も「ドモ」ということばも、豊穣な「オ」を含むぜいたくな響きとして感じられたのでしょう。

 「ロボット」という語が初めて登場したのはカレル・チャペックの「R.U.R.」(1920年)という劇中だという話は有名ですが、「R.U.R.」に登場するロボットは実は機械然とした外見ではなく、むしろ人間に近い、いまでいうアンドロイド風のもので、舞台でも人間によって演じられました。けれど、のちにこのことばが広まる過程で、「ロボット」というもごもごした響きと「機械仕掛け」のイメージが結びつくようになりました。

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 ところでカレル・チャペックがのちにチェコの新聞に書いた記事によれば、実際にこの語を思いついたのは兄で画家のヨゼフ・チャペックだったようです。R.U.R.の原案を練っていたカレルはヨゼフにこんな風に相談しました。「ねえ、劇のアイディアを思いついたんだけど」。ヨゼフはキャンバスに向かって、絵筆を口にくわえたままそっけなく応じました。「じゃ書けば?」「劇に出てくる人造労働者をなんて呼んだらいいかわからないんだ。ラボリ(労働)だとちょっと硬すぎるし」。ヨゼフはあいかわらず絵筆をくわえたまま、もごもご答えました。「じゃロボットはどう」

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ヨゼフが描いたカレルの「ロボット風」似顔絵

 わたしたちは「ロボット」といいながら、もう百年近くも前にこのことばを発したヨゼフの、絵筆をくわえた口の形を知らぬ間に繰り返しているのかもしれません。

ロゴ:平松るい / 文 : 細馬宏通

        
細馬宏通
細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年生まれ。現在、滋賀県立大学人間文化学部教授。 専門は日常会話の身体動作研究とメディア史。介護、手話会話、演劇、ゲームなどさまざまな場面で人の動作について考える一方で、明治期以降の塔や絵はがきの果たした役割について論考しています。著書に『浅草十二階』『絵はがきの時代』(青土社)。バンド「かえる目」では、ボーカルと作詞・作曲担当。 ブログ:http://12kai.com/wp/ かえる目:http://12kai.com/kaerumoku/