うたのしくみ Season2 第6回 9月の星と雲 –アース・ウィンド&ファイヤー『セプテンバー』–

 芥子色のシャツを追いかけているうちに、9月も深まってまいりました。9月といえばセプテンバー。セプテンバーといえばバーディヤー! というわけで、今回は、アース・ウィンド&ファイヤー(EW&F)の『セプテンバー』(1978)を取り上げます。もう何百回きいたかわからない、『セプテンバー』大好きなんですよ。いやう!
 などと悦に入ってたわたしは、どれ書く前に下調べでも、とネットを検索して一気に沸騰したのです。「あの歌は本当は12月の歌だから、9月にかけるのはまちがい」。

 なんだとう!

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 ちぇっ、せっかくいい気分で9月だったのに、なんでえなんでえ、何が12月でい。この歌は誰が何と言おうと断固、9月の歌なんだぜ!
 …と、ムカついてはみたものの、なるほどセプテンバーの歌詞には、確かにこんな一節があるのです。

 いまは12月 愛を分かち合ったね 9月に

 なるほど、12月に9月を思い出してるってわけだね。だから語り手はいま12月にいるのだし、ほんとは12月にかけた方が正しい。
 …なんだとう! だからどうだってんだ? 『セプテンバー』ってタイトルの曲をセプテンバーに流して何が悪い? というわけで、以下、この歌がいかに9月であるかをとうとうと述べさせていただきたいと思います。いやう!

 ちなみに「いやう!」って耳障りな文字がさきほどから躍っていますが、これは、『セプテンバー』でボーカルの一人、モーリス・ホワイトが発する奇声です。


【いくつかの問い】

 さて、少し冷静になって、改めてこの曲をきいてみましょう。ごく短い曲ですが、しかし、全く単純明快かと言われると、ちょっとわからないところもあります。
 まず、この曲はなぜボーカルが二手に分かれているのか? そりゃEW&Fは、ソウルフルときどきカエル声のモーリス・ホワイト、驚異的なハイトーンを得意とするフィリップ・ベイリーのツイン・ボーカルを擁しているのだから当然だろう、と言われれば、そうです。でも、日本ですごく流行った『宇宙のファンタジー』では、フィリップ・ベイリーがほぼ全編にわたってボーカルをとっていたりするので、必ずしも二人のボーカルが一曲の中で交替すると決まっているわけではありません。そして問題は、なぜ二人か、だけではなく、どの部分をどちらが歌っているのか、です。これまで、複数のボーカルが交替する名曲をいくつも取り上げてきましたが、その交替の仕方にはたいてい、その曲にふさわしい理由がありました。この『セプテンバー』には、はたしてそのような理由が見つかるでしょうか。
 そして、もうひとつわからないのが、この曲でいやというほど繰り返される「バーディヤー!」です。このかけ声、どういう意味なんでしょう。もちろん、辞書を引いても出てこない。ただのかけ声だ、という答えでもいいのですが、それにしてはあまりに頻繁に叫ばれ過ぎではないか。

 というわけで、例によって、これらの問いを気にしながら、まずはシンプルなその全体像をつかんでみましょうか。


【「続く」感】

 この曲は基本的には、16小節をモーリスが、16小節をフィリップ率いるコーラスが交替で歌う、32小節が一つの単位になっています。でも、この曲をきいた人はたいてい、「え?32小節なんて複雑な構造があったっけ?」という印象を持つのではないでしょうか。この曲は32小節よりもずっと小さな単位でひとまとまりになっているようにきこえます。
 その最大の理由は、基本的に2小節からなる短いコード進行を繰り返しているからでしょう。そしてこの2小節のコード進行の基本パターンは、わずか2種類しかありません。曲のほとんどの部分は、この2種類のどちらかで構成されています。昨今のJ-POPの複雑さに比べると、驚異的な単純さです。

 この単純な構造を魅力的にしているのはもちろん、EW&Fの強力なリズム隊です。とりわけベースのヴァーダイン・ホワイトは、彼独特のツーフィンガーの太い音を用い、アタックのみならず音の切れるタイミングをきかせることで、グルーヴの要となっています。ここで、ヴァーダインのベースをフィーチャーしたバージョンをちょっときいてみましょうか。彼が弦をミュートするタイミングの巧みさがよくわかる映像です。

 『セプテンバー』の構造が単純にきこえるもう一つの理由は、8小節の終盤に必ず入る印象的なコードのせいです。通常ならここはAのコードを用いて、ひとつのフレーズが終わったなという感じを出すところですが、この曲では、Gmaj7 on Aという微妙なコードがあてられている。この和音はAよりもひねりがきいていて、「ひとまず終わりなんだけどまだ続きが…」という感じになります。これが8小節ごとに必ず入る。いわば全編にわたって、「まだ言いたいことがあるんだよね」という「続く」感が埋め込まれているわけです。

 ちなみに『セプテンバー』の始まりは、まさにこの、微妙なコードを印象づけるしくみになっています。リズミックなリフで始まったイントロに、突然ブラスが唐突かつ性急に入ってくる。そして、坂を転がり落ちるように6つの音がけたたましく鳴らされると、ホーンセクションは次々と微妙なコードに加わってロングトーンで上積みしていき、のっけから、この曲を「続く」感でてんこ盛りにします。ブラスの最初の一音はブルージーなミbですが、意外にもこの音が『セプテンバー』の中で用いられるのは、この一カ所のみ。それゆえに、この冒頭で華々しく奏でられるブラスのメロディと和音は、曲全体の中で突出した記憶を残します。

 以上、ざっと『セプテンバー』を概観してみましたが、ものすごくざっくり言ってしまうと、これは、モーリスとコーラスが2小節単位でなんだかんだ歌っては「続く」という歌なのです。
 それにしても、この歌がそこまでして「続けて」いきたいこととは、いったいなんでしょうか?


【バーディヤーそしてバードゥダ】

 洋楽の好きな人はともかく、ラジオから流れてくる音楽をなんとなくきいているタイプの人間にとって、1970年代後半のEW&Fといえば、日本で大ヒットした『宇宙のファンタジー』であり、ピラミッドどーん、宇宙船どーん、衣装きらーん、長岡秀星のイラスト見開ずばーん、そしてハイトーンとホーンセクションで押せ押せのサウンドで、なんともスケールのでかい曲を歌うバンドという印象でした。

 でも、続いてリリースされたこの『セプテンバー』の歌詞はごくパーソナルなものです。ここからはその内容を追っていきましょうか。
 まずモーリス・ホワイトがこんな風に歌います。

覚えてる? 21日の夜、9月
愛が見せかけの心を変えてしまった
雲を追い払っている間に

ハートが鳴っていた
ぼくたちの心が歌うのと同じキーで
夜に踊ったね
思い出して、星たちで夜を乗っ取ったこと

 語り手が9月21日のことを「覚えてる?」と愛する相手に語っているのですが、その思い出は驚くほどポジティヴです。通常9月といえば連想されるのは、人生の秋。そして、従来、9月の代表曲といえば、クルト・ワイルの「セプテンバー・ソング」(1938)でした。これは、春に出会った恋がみるみる色あせたあとの、5月から12月までのうんざりする日々への嘆き節です。9月も半ばを過ぎるともう人生の日は短くなるばかり、けれどこの残り少ない人生を君と過ごそう、という屈折した人生謳歌をフランク・シナトラが朗々と歌い上げる。それが、従来のポップス史における9月の歌のイメージだったわけです。ところが、このEW&Fの『セプテンバー』(1978)は、そんな暗い9月を払拭して、真新しい9月のイメージをぶちこもうとしている。いいね!
 ここからボーカルはフィリップ率いるコーラスに移るのですが、その内容は、拍子抜けするほど簡単なものです。

ハ、ハ、ハ
バーディヤー、ねえ覚えてる?
バーディヤー、9月に踊ったこと
バーディヤー、もう曇りじゃなかった

 「バーディヤー」とは何か? この部分をきく限り、フィリップのハイトーンを印象的にきかせるための合いの手もしくは掛け声といった印象で、さほどの意味があるとは思えません。それに続くことばの内容にも、新しい要素はほとんどない。「覚えてる?」も「9月に踊った」も「もう曇りじゃなかった」も、モーリスの歌ったことの要約に過ぎません。
 ただ気になるのは、ここでモーリス・ホワイトからコーラスへ交替するときの入り方です。なぜ、コーラスは、まだモーリスが歌声を響かせている最中に、「ハ、ハ、ハ」と、前ノリで割って入ってくるのでしょうか。


【8小節のバードゥダ】

 二人は一番を歌ったあと、とモーリスは8小節歌ってもう歌の文句が尽きたあとも、通常なら間奏が入りそうな場所で「ハッ」と気合いを一発入れてから(そういえばこの曲には間奏がないのです)、こんな風にオクターブで歌います。

 バードゥダバードゥダ…

 バで始まるところといい三つの音符を基本単位とするところといい、この「バードゥダ」は「バーディヤー」と兄弟のようです。
 さて、ここで問題。二人は、この「バードゥダバードゥダ…」を、何カ所で歌うでしょうか?

 …正解は、意外や意外、たった一カ所です。一番の終わったあと、わずか8小節だけ、この「バードゥダバードゥダ…」は歌われます。それにしては、もっときこえている気がしますが、それもそのはず、同じメロディは、ホーン・セクションによってあちこちで奏でられているのです。それも、二人が歌う前から。
 一番をもう一度よくきいてみましょう。コーラスが「バーディヤー」を歌ったあと、ホーン・セクションはコーラスの後ろで「バードゥダ」のメロディを奏でています。図にするとこんな具合に。

baduda

 ちょうど、「バーディヤー」のあとを補うように「バードゥダ」が演奏されていることが判ります。つまり、この二つのメロディはことばの音といいメロディの長さといい位置関係といい、一つの歌を構成する二つの要素であるかのように扱われているのです。
 でも、この、半ばスキャットのような「バーディヤー」と「バードゥダ」の本当の正体が明らかになるのは、もう少しあとのことです。


【12月に思い出して Remember in December】

 さて、いよいよ2番の後半、問題の箇所を検討してみましょう。モーリス・ホワイトは語り手の今の時間が「12月」であることを明かします。

いまは12月、9月の愛を見つけた
いつまでも話し、愛した
覚えておこう、今日愛を分かち合うことを

 歌詞だけ読むならば、なるほど、12月に9月の思い出しているように読めるし、「今日愛を分かち合う」のも12月に行われる誓いのようです。この曲で繰り返される「remember」ということばは「December」ときれいに韻を踏んでいる。もしかするとこの曲のテーマは「12月に思い出すこと Remember in December」なのかもしれません。そういえば、ここまでモーリスのパートでは鳴りをひそめていたホーン・セクションが、彼が「12月」と歌い始めたとたんに、それを祝うように「バードゥダバードゥダ」のメロディを奏で始める。
 ということは、この曲はここで、完全に12月に舞台を移したのでしょうか。


【9月の歌 September song】

 語り手の居場所は12月であることが明かされたあと、コーラスは例によって「バーディヤー」を繰り返します。しかしここで、その繰り返しに、うっかりきき逃しそうな、しかし重要なひとことが加えられています。彼が付け加えているのは、こんなフレーズです。

そこにあったのは (There was a)
バーディヤー

 「そこにあったのは」。このひとことで、きき手は突然気づきます。「バーディヤー」がただの掛け声ではなく、9月に流れていた音楽そのものであり、ことばにできない9月の思い出そのものであることを。そして、コーラスの声は、はじめから「バーディヤー」によって9月の音楽を召喚していたことを。
 この「そこにあったのは」を合図に、コーラスは一気に分裂して、「バーディヤー」を波のように重ねて、曲をみるみる9月に塗り替えていきます。「9月に踊ったこと」というコーラスの声と、追いかけてきた「バーディヤー」とが重なって、まさに「バーディヤー」とともに9月は踊っている。いまや同じ歌詞が、こんな意味に響きだしています。

そこにあったのは
バーディヤーだよ、覚えてる?
バーディヤーは9月のダンス
バーディヤーで、金色の夢は輝く日々になった

そこにもう一つのフレーズであるホーン・セクションの「バードゥダ」の波が重なっている。ああそうか、「バードゥダ」もまた、9月だったんだな。二つのフレーズは、あたかも交替する9月の日々のように曲を埋め尽くしていく。

 つまり、「バーディヤー」と「バードゥダ」は、『セプテンバー』という歌の中に含まれる、いわば劇中歌だったのです。いや、もはや劇中歌などという生やさしいものではなくなりつつある。9月の歌「バーディヤー」と「バードゥダ」が繰り返し歌われ奏でられることで、現在から過去を思い出そうとする歌だったはずの『セプテンバー』は、いまや思い出そのものへと変貌しようとしているではありませんか。

 これで、コーラスが最初に歌い出したとき「ハ、ハ、ハ」と前のめりになっていた理由もわかってきました。あれは、モーリスの居場所である12月から、思い出されている9月へと世界を塗り替えるための、小さなブリッジだったのです。ちょうど「そこにあったのは」という思い出しのフレーズが、きき手を思い出そのものへと誘うように。


【星と雲】

 波のような「バーディヤー」によって曲が9月に覆われたあと、3番ではモーリスのパートが劇的に変化します。モーリスの歌っている後ろで、トロンボーンが9月のメロディである「バーディヤー」を奏で続けている。一方、モーリスはアドリブ気味にメロディを高め、アハ、と自ら軽やかに合いの手を入れる。be+ingの過去進行形のing側がぐいっと引き延ばされて、過去よりも進行が強められる。これはもう昔のことじゃない。いま、いま起こっていることなんだ。
 ところが、これまで「雲が払われた」「もう曇りじゃなかった」と雲を排するフレーズを繰り返してきたこの歌に、突然こんなフレーズが現れます。

どんな曇りの日も覚えているかい?

 あれ? わたしは最初、この歌詞は何かの間違いじゃないかと思いました。せっかく盛り上がっているところに、語り手はあえて、陰鬱な曇りの日、そしておそらくは二人の関係にとっての曇りの日々を、すべて思い出そうとしている。そんなことをしたら、せっかくの輝く9月がだいなしになってしまうのではないか。
 いや、ここで、モーリスはカエルのようなあの、奇妙な声をひねり出すのです。

「いやう!」

 この一声で、これまでなかった色彩が9月に投じられます。すかさずコーラスが「そこにあったのは」と続けると、もうすべての曇りの日に「バーディヤー」が流し込まれる。雲とバーディヤーが混ざり合い、コーラスの歌うバーディヤーとホーン・セクションのバードゥダが交替し始める。雲は9月に水をさすどころか、色彩をいよいよ陰影に富ませ、鮮やかさにしていく。
 
 そして終盤、歌がいよいよ高みに達すると、もうコーラスは「そこにあったのは」も「ハ、ハ、ハ」も言わない。「覚えてる?」も「踊ったね」もない。決然と「バーディヤー」から歌い始め、「バーディヤー」を波打たせます。これは思い出ではない。いままさに、世界は「バーディヤー」と化している。こうして、きき手は9月の大団円の中で『セプテンバー』のフェイドアウトをきき終えます。
 いや、ちっともきき終えた気がしない。胸の中で鳴り続ける8小節はいつもGmaj7 on Aで「続く」。そして、またききたくなってこの曲をかけてしまう。二度目からは、コーラスの「ハ、ハ、ハ」という声を聞いただけでもう、9月が始まるのです。「バーディヤー」のひとことで、思い出すという行為が、思い出そのものに覆われていく。思い出す場所は思い出の場所となり、12月は9月となり、過去は現在になる。軽やかに歌われる8小節の「バードゥダ」のように、この9月はずっと続いていく。たとえそこが何月であっても。いやう!

***

 先にも書いたように、この歌は、9月21日という具体的な日付の入った、パーソナルな思い出を歌っています。ならば、もっと落ち着いた調子で歌っても違和感はないかもしれない。
 土岐麻子は、2004年にリリースした初のソロアルバムで、アコースティック・ギターとエレクトリック・ピアノをバックに思いがけなくすてきな『セプテンバー』のカバーを歌っています。彼女は「ハ、ハ、ハ」や「そこにあったのは」という小さなフレーズをあえて歌っていません。そのことで、輝く9月の思い出と更けゆく12月とを両立させるような、原曲とは違う気分が醸し出されています。わたしはこのカバーも何度となくききました。
 もう一つ、興味深いことに、土岐麻子のバージョンでは「どの曇りの日も覚えてるかい?」が歌われていません。12月にあらわれた陽だまりのような歌に9月の「曇りの日」を持ち込むのは、いささか野暮というもの。彼女のバージョンは、この唐突なフレーズには触れないことで、一つの完結した世界を築いています。

 おそらく、曇りの日々によって9月を彩らせるためには、EW&Fの溌剌すぎるほどの勢いと、あのモーリス・ホワイトの発するカエルのような奇声の魔術が必要なのです。そこが彼らのいいところなんですけどね。ほんとにどの曇りの日も覚えてるかい? いやう!

追記:
 本文では、モーリスの歌の最後を「Do you remember every cloudy day」とききとって「どんな曇りの日も覚えてるかい?」と訳したのですが、公開後、読者の方から、実際は「Do you remember, never (was) a cloudy day」と歌っているのではないかというご指摘を受けました。そういえばそう聞こえる!
 ではどちらが正しいのか。英語の歌詞サイトの多くは「every cloudy day」としているのですが、単に誰かの聞き違いがコピーされた結果かもしれません。中には「evernight and day」「every now and then」とききとっているものも(http://www.youtube.com/watch?v=wBNewLDy3pQ)。
 歌詞カードはどうなっているかというと、私の持っているアルバムの歌詞カードにはこの部分は記されていません。その意味でもここは本文に書いた通り、モーリスがアドリブ調でやっているのだと思われます。
 一方、実際の演奏にあたってみると、YouTubeにあがってるモーリス以外が歌っているバージョン(たとえばhttp://www.youtube.com/watch?v=6VqTZbeiMYM)では、はっきりと「never (was ) a cloudy day」と歌っているものがいくつか見られます。ということはやはり「never (was ) a cloudy day」のほうが正しいのかもしれません。
 というわけで、「どんな曇りの日も覚えているかい?」はもしかしたら聞き間違いの産物かもしれないのですが、なかなか楽しい産物なので、本文はあえて訂正せず、このように追記にて注釈する次第です。いやう!

ロゴ:平松るい / 文 : 細馬宏通

        
細馬宏通
細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年生まれ。現在、滋賀県立大学人間文化学部教授。 専門は日常会話の身体動作研究とメディア史。介護、手話会話、演劇、ゲームなどさまざまな場面で人の動作について考える一方で、明治期以降の塔や絵はがきの果たした役割について論考しています。著書に『浅草十二階』『絵はがきの時代』(青土社)。バンド「かえる目」では、ボーカルと作詞・作曲担当。 ブログ:http://12kai.com/wp/ かえる目:http://12kai.com/kaerumoku/