うたのしくみ Season2 第5回 コーラスの夜 –ドナルド・フェイゲン『ナイトフライ』–

 ああ、夏もあっという間に終わる。細馬です。こんにちは。

 この夏もたくさん本を読みました。その中でもいっとうおもしろく、また考えさせられたのが、冨田恵一「ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法」(DU BOOKS)です。
 この本は、ドナルド・フェイゲンが1982年に出したソロ・アルバム「ナイトフライ」一枚のみについて、その録音と編集がいかに行われたかについて、緻密に論考を重ねていくというものです。その論考によって、いままでひとつながりのプレイだと思っていたものが、いかに徹底的に考え抜かれて編集された産物だったかが次々と明らかにされていく。分析の解像度はとんでもなく高く、わたしは、かつて毎日のようにきいて、もうすっかり知っているつもりでいたこのアルバムを、この本を片手に、まるで初めてきくようにきき直すことになりました。
 優れた分析を読むと、読んだこちらの認知のスピードまで上がり、その結果見える風景が変わってしまう。一音一音アレンジが浮き立ってくるような感覚を味わいながら、その歌詞の意味を追っていくうちに、アルバム「ナイトフライ」は、かつてきいたのとはまるで違う響きを帯びるようになってきました。アレンジの細部が歌詞の進行を一歩一歩緻密に支え、その意味を照らし出しているのが手に取るようにわかってくる。

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 中でも表題曲『ナイトフライ』に対する感覚は、がらりと変わりました。
 歌詞の意味は、うっすら知っているつもりではいました。この歌はあるDJの語りをなぞっている。それは、今は失われた古きよき50年代のアメリカのスタイルで、ちょうどこのアルバムのジャケットのように、主人公はタバコ片手に、ソニー・ロリンズなどをかけながら、明け方、スタイリッシュに皮肉まじりの文句を語っている、うんぬん。でも、わたしには、このアルバムに見られるような、アメリカの50年代末から60年代はじめに対する(ケネディ暗殺前の世界への)ノスタルジーが切実にあるわけではない。だから、たぶん、歌詞を掘り下げたところで、わたしには縁のない憧憬にたどりつくだけではないか、とタカをくくっていたのです。
 しかし、わたしはこの歌を甘く見ていたようです。いまや、ぼんやりとした印象ではなく、これまでリアルタイムで立ち上がってこなかった歌詞の細かな意味が、曲の進行と絡みながら有機的にきこえてくるようになりました。

 そして実際のところ、この歌の詞と曲には、緻密に結びついている必然性があります。というのも、冨田さんの本から孫引きするなら、『ナイトフライ』を作るにあたって、「フェイゲンはドラム・マシーンとキーボードだけのシンプルな『ナイトフライ』のデモを作っていた。しかし、その段階では歌詞はかたまっておらず、スタジオに入ってから修正に修正を重ねてやっと仕上げていった」からです(ブライアン・スイート「スティーリー・ダン リーリング・イン・ジ・イヤーズ」藤井美保訳/リットーミュージック)。歌詞を練り上げる作業と、作曲やアレンジ、編集を完成させていく作業とがお互いに相互作用を及ぼすように進行したのであれば、わたしたちは、この曲から、その相互作用の跡をたどることができるということになります。
 そこで今回は、この表題曲『ナイトフライ』を取り上げ、その歌詞が曲の構造とどのような関係を持っているかについて考えてみたいと思います。幸い、音作りに関してはすでに冨田さんによる綿密な論考がなされている。その論考をあちこちで借りながら、以下では、いわば巨人の肩に乗るような形で考えを進めていくことにします。

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【二つの問い】

 歌を検討する前に、考えを進めていくための足がかりとして、二つほど問いを立てておきましょう。

 一つめの問いは、ずばりタイトルにまつわるものです。なぜこの曲の題名は「ナイトフライ the Nightfly」なのか。夜間飛行? 夜の蠅? 英語の辞書を引いても、該当する単語は出てこない。ではなぜこんな造語を使うのか。

 二つめの問いは、この連載のテーマでもある、複数の声の問題です。「ナイトフライ」は基本的にドナルド・フェイゲンのソロ・ボーカルで歌われますが、曲のごく限られた部分でコーラスが用いられます。それは「インデペンデント・ステーション、WJAZ」の部分、スウィート「ミュージック」の部分、そして最後の「太陽がさしこむまで」というフレーズの三カ所です。
 では、なぜこれらのコーラスは特定の場所につけられているのでしょう?
 和声を強調するため? もちろんそれもあるでしょう。でも、コーラスは、ただのスキャットを口ずさんでいるのではなく、歌詞の一部を歌っている。ということは、その歌詞には、コーラスがつけられるべき必然性があるということになります。それはどんな必然性なのか。
 とりあえずの答えは、あります。この曲はラジオ番組をなぞっている。だから「インデペンデント・ステーション、WJAZ」というところは、おそらく放送局のサウンド・ロゴのスタイルを真似ているのです。「ミュージック」のところもそうかもしれません。では最後の「太陽がさしこむまで」は?

 いやいや、急いで答えを出す前に、まず、これがどんな歌なのか、ゆっくり見ていきましょう。おそらく、歌をたどるうちにこの他にもいくつもの問いが立ち上がってくるはずです。そして、問うことの楽しみは、答えを得ることそのものではなく、太陽がさしこむまでの道のりにある。


【リスナーを抑圧するDJ】

 「ナイトフライ」の歌詞は、まずDJの名乗りから始まります。

こちらレスター・ザ・ナイトフライ

どうも「バトン・ルージュ」さん

ラジオの音量を下げてくれますか

ご了承下さい、音声を7秒ほど遅らせて放送しております

 曲のタイトルがなぜ「ナイトフライ」なのかは、この部分で明らかにされています。「ナイトフライ the Nightfly」は、語り手であるDJレスターの別名なのですね。ということは、おそらくは彼、DJレスターが自身で考えた造語ということなのでしょう。ならば、辞書に載っていなくてもしかたない。夜の飛翔をイメージさせる、深夜放送にふさわしい名前です。
 DJレスター、またの名をザ・ナイトフライ。彼の饒舌は、みるみる曲を覆っていくのですが、ここでいくつか注釈を。

 「バトン・ルージュ」は実際にアメリカ南部にある地名ですが、ここではラジオ・ネームとして訳してみました。たとえば「気仙沼」という地名を「気仙沼夫」とラジオ・ネームにする感覚です。「バトン・ルージュのみなさん、こんにちは (Hello, Baton Rouge)」と放送エリア全体に呼びかけているとも解釈できますが、誰か特定のリスナーに呼びかけていると解釈したほうが、次のお願いにうまくつながる。

 そのお願い、「ラジオの音量を下げてくれますか」は、リスナーからの電話を受け付けるラジオ番組でよく使われるフレーズです。これは、電話をかけているリスナーのそばのラジオの音が放送に回り込むのを避けるための注意で、DJやアナウンサーがしばしば口にします。ラジオ好きの人なら、このフレーズ一つで、ははん、歌の主人公は、「リスナーによる電話参加型のラジオ番組」をやっているのだなとわかる。この辺、フェイゲンのストーリーテリングはコンパクトかつ巧みです。

 「音声を7秒ほど遅らせる」というのは、1950年代に編み出された方法で、生の会話を放送で流すことを禁じる法律に対してとられた苦肉の策です。いったん電話をテープに録音して、それを何秒か遅らせて放送する。何か放送できないようなまずい台詞やアクシデントがあった場合は、この遅延の間にテープを止めてカットしてしまう。これをブロードキャスト・ディレイといったり、セブン・セカンド・ディレイと呼びます。アメリカのラジオ放送でテープレコーダーによる録音編集が導入されたのはちょうど1950年代ですから、セブン・セカンド・ディレイは、テープ録音時代の産物とも言えるでしょう。興味のある方は次の英語版Wikipediaをどうぞ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Broadcast_delay

 さてこの4行でおもしろいのは、DJレスターの、いささか高飛車な態度です。電話をかけてきた相手に、さあどうぞどうぞとおしゃべりを勧めるような調子が、まるで感じられない。相手が口を開く前に「ラジオの音量を下げてくれますか」「音声を7秒遅らせております」と、ラジオ局からのお達しを続け様に言う。しかも、7秒ディレイというのは、いざというときに相手のしゃべりたいことを編集するしくみ。ここでDJは、あなたの言いたいことは場合によっては電波にのりませんよ、と言論統制の存在をほのめかしてもいるわけです。電話しているリスナーにとっては、なんとも抑圧的で気詰まりな会話の始まりではないでしょうか。

 歌い方とアレンジもまた、この高飛車な感じを強調しています。「下げてくれますか」「7秒遅らせております」という部分を、ドナルド・フェイゲンの歌い方はタイトなリズムから離れるように三連符まじりの、冨田さん書くところの「語りを交えたメロディ」(p166)で歌って、ことさらに嫌味に響かせている。さらには、この部分に入ったとたん、まるで自由なはずのおしゃべりの時間に規律を持ち込むように、カウベルが時を刻み始める。このカウベル、かつてわたしが初めてきいた頃は、タイトなリズムに対する気の利いた味付けだと思っていたのですが、歌詞と合わせてきくと、まるでスタジオの秒針の映像をインサートするような、切迫する時間感覚を産んでいることに気づきます。この効果についてはあとで繰り返し触れることになるでしょう。

 さて、歌はようやくリスナーとの会話へと進むのですが、リスナーの発話そのものが歌われるわけではなく、DJレスターによるなんとも気のない要約がなされます。

なるほど、けしからん人種のおかげで、きがへんになりそうだと

法規制すべきだと

お電話ありがとう

今夜ずっと、こんなお電話お待ちしてます

 電話の主はどうやら近所の「人種」に対する不満をまくしたてているようです。それが強い調子であることは「法規制 legislation」というおだやかならぬ単語を使っているところからもわかる。レスターは、ほほう、とアンダーラインを引くように、「語りを交えたメロディ」を用いてこの単語を引用するのですが、ここでまたしてもカウベルがコツコツと時間を刻み始める。するとレスターの歌は急に急ぎ始めます。リスナーの意見に対して、感想どころかあいづちすら述べず、「お電話ありがとう」と前ノリで話を切り上げると、もう相手を放ったらかして「今夜ずっと、こんなお電話お待ちしてます」とリスナー全員にごく形式的に語りかけて終わり。ことばこそ丁寧ですが、明らかに、電話の相手を体よくあしらっています。
 もし人気番組のことを歌うなら、もっとリスナーとの楽しげな会話を紹介すればよさそうなものなのに、歌われているのは、ごく表面的な、なんとも居心地の悪いやりとり。どうも様子がおかしい。


【ブルースは抑圧される】

 さて、この前半部、とくに「語りを交えたメロディ」について冨田恵一さんは「伸縮、変形したブルース」(p167)と、はっとさせられる指摘をしています。そこでこの指摘を手がかりに、この伸縮と変形が、歌詞とどのように関わっているかを検討してみましょう。

 その前に補助線を一つ。前著「うたのしくみ」でブルースを取り上げたときに書いたように、古いブルースの12小節には、単にコード進行や小節数だけでは表せない時間感覚が埋め込まれています。それは、会話性、もしくはコール&レスポンス性です。
 12小節のブルースは、三回の掛け合いでできています。たとえば「セントルイス・ブルース」でベッシー・スミスが2小節歌うとルイ・アームストロング二2小節合いの手を入れる。このやりとりを2回やってから、最後にちょっとメロディを変えて結論となるやりとりを1回やる。

 明日も今日と同じ気分なら(ルイのトランペット):2×2小節
 明日も今日と同じ気分なら(ルイのトランペット):2×2小節
 荷物まとめて出て行くわ(ルイのトランペット):2×2小節

 これで4×3の12小節になります。もちろん、12小節を全部一人で歌ったり奏でてもいいのですが、その場合も、二小節はメロディアスにうなって、二小節はややアドリブのきいた合いの手、というやり方をなぞる。すると、ブルース独特の掛け合い感が出るわけです。ブルース的な歌唱では、多かれ少なかれこの掛け合い感が生じます。

 さて、このことを頭において、最初の4行を今一度見てみてみましょう。

こちらレスター・ザ・ナイトフライ

どうも「バトン・ルージュ」さん


 これで2小節です。通常のブルース感覚からすれば、このあとの2小節では合いの手風のフレーズを期待するところです。そして確かにフェイゲンの歌は、ここでメロディから逸脱するような、ちょっとアドリブのきいた「語りを交えた」口調になります。しかし、その歌は長くは続かない。4小節目から、規則正しいカウベルのカウントが鳴り始めるや、フェイゲンの歌はすっとターン・ダウンされます。まるで融通無碍なブルースの時間が剥奪されたかのように。
 そして続く5小節目、「ご了承下さい、音声を7秒ほど遅らせて放送しております」の部分も、そそくさと歌われてわずか1小節で早じまい、6小節目からは、まるで掛け合いを封じるように、非情なカウベルのカウントとキーボードのリフが曲を覆います。ちなみにこのキーボードのリフは、後半4小節を演奏する間に、8小節分のコード進行を倍速でこなしていくので、ここでコード上のブルースは半分に圧縮されています。
 こうして8小節が終わると、もはやブルースは残っていません。キーボードのリフは、まるで場に拡げられた掛け金をすばやくまきあげる勝者の如く、わずか1小節でフレーズをまとめあげて、次の節へと音楽を明け渡してしまう。
 こうして「ナイトフライ」の最初の部分には、9小節という半端な小節数が誕生します。この半端さは、ブルースの掛け合いが中断され、途中から時間が圧縮された産物というわけです。

 掛け合いの中断と抑圧は、次の4行でも繰り返されます。最初の2小節で相手の訴えをまとめあげておきながら、次の2小節ではあいづちは打たない。代わりに「お電話ありがとう」と、会話をいきなり終了させるようなフレーズが4小節めに割り込んでくる。そして「今夜ずっと、こんなお電話お待ちしています」とおためごかしの台詞で、歌はさっさと切りあげられる。この、会話を急ぎ足で終結させてしまうDJの台詞には、またしてもあのカウベルとキーボードが重ねられています。そしてここでも、6小節目の後半から8小節目にかけて歌はなく、かわりにアドリブを欠いたカウベルのカウントとキーボードのリフが、掛け合いを抑圧するように覆っています。
 このように、冒頭部分での掛け合いの中断とブルースの圧縮は、二度繰り返されており、ただの気まぐれではないことがわかります。そして、このブルースの掛け合いに対する抑圧から、きき手はDJレスターのスタイルを感じ取ることができる。もっとはっきり言えば、リスナーに対するDJレスターの高慢でタフな態度を強調すべく、ブルース的な掛け合いが遮られているのです。

 どうやら、この何とも表面的で居心地の悪いリスナーとのやりとりは、歌詞のみならず音楽的にも、はっきりとした意図をもって、抑圧的に響くよう仕組まれている。この歌はどこに行こうとしているのか。もう少し先を見てみましょう。


【DJの感情:「I」と「through」】

 さて、次はいよいよ、問題のコーラスです。

インデペンデント・ステーション
WJAZ

ジャズと、あなたとのおしゃべりを

お送りしているのはここベルゾーニ山麓


 ここは素直に、最初の二行がラジオ局のコールサイン「WJAZ」を告げるサウンド・ロゴ、そして次の二行がDJの決まり文句と見ることができそうです。それにしても、ここまで見たようないかにも表面的なレスターとリスナーとの会話を、「ジャズと、あなたとのおしゃべり Jazz and conversation」と喧伝しているのだから、なんとも人を食った話です。

 さて、リスナーあしらいも軽やかに飛ばしてきたDJレスターですが、次の二行から、いささかその調子が変わってきます。

スイート・ミュージック
今宵こそ我が世の夜
深夜放送
太陽がさしこむまで、天窓から

 まず、「スイート・ミュージック」というフレーズ、先の「インデペンデント・ステーション」のようなコーラスまかせではありません。フェイゲンはフェイゲンで、(冨田さん言うところの)「崩し気味」に歌っており、コーラスは「ミュージック」の部分だけを裏打ちする。いわばDJの台詞入りジングルといった体裁ですが、さきほどのとりつくしまのないサウンド・ロゴに比べると、ややDJの感情が入った感じがします。
 問題は次の「今宵こそ我が世の夜 Tonight the night is mine」です。大胆不敵なフレーズですが、これはDJの台詞としては不似合いです。だって、「ジャズと、あなたとのおしゃべり」とコミュニケーションを誘いかけている人が、「我が世の夜」なんてぐあいに今宵を独占するようなことを言っちゃまずいじゃないですか。どうやらこれはオフレコの、DJの本音がぽろりと出た部分なのではないか。
 そのことを裏書きするように、この部分には、歌い手の感情変化を示すいくつもの兆候が現れています。F#7 -> B7という、これまでにないメランコリックなコード進行が用いられている。ギターがメロディに寄り添っている。「mine」という言葉尻が、やけに無造作に放り出されている。
 そして何よりも際立っているのは「I」の音です。Tonight the night is mine. 表題にも含まれている「night」ということばが二回も登場し、しかもそれが「mine」と韻を踏んでいる。短いフレーズの中に「I」という音が三度も繰り返されている。

 ここで提示された「I」の音は、ここから夢見るような変容を遂げていきます。
 「mine」と大胆に言い放ったあと、不思議なことにこれまで滑らかだったDJの口調は、少し言い淀み始め、コードは不思議な下降を始めます。そこでフェイゲンが歌うひとことは、「深夜放送 late line」。 また「I」の音。
 すると、「太陽が見えるまで ’til the sun comes through」というDJのことばに対して、まるで差し込もうとする光を媒介するエーテルのようにコーラスがフレーズをおいかけてきます。thrで始まる持続音u:は、交替するコードに支えられながら確かな声でのびていく(あくまで私の印象ですが、この「through」の長い持続には、「thr」で始まるさまざまな語の持つ象徴性、たとえば(キャント・バイ・ア・)スリル thrill、喉 throat 投げた threw 閾 threshhold といった、危うい領域を通過 through していくイメージの連鎖 thread を感じます)。
 そしてたどりついた先にあるのは、もう一つの「I」である天窓 skylight。ここからやってくるはずの太陽を、英語の語順は ’til the sun comes through と先取りして、そのあとに天窓を置いています。

 かくして、「I」の音は、ドリーミーな through の持続音の変容に乗って夜 late lineを越え、語り手をここではない天窓 skylight へと上昇させていく。さっきまでサウンド・ロゴやジングルを飾っていたコーラス隊も、この夢のような光景を飾るように持続音に加わっている。

 しかしこの時点ではまだ、この美しいコーラスは、唐突な印象を残して終わります。第一、あれだけ出だしは高飛車でタフだったDJレスターは、なぜ「今宵こそ我が世の夜」と急に感情を露わにしたかと思うと、その感情を慰撫するように朝の光を夢見るのでしょうか。そしてそこにはなぜコーラスが伴うのでしょうか。
 その理由を考えるためには、曲の続きをきかねばなりません。


【ブルースの逆襲】

 1番、2番と繰り返しのある歌のおもしろさは、1番でインストールされた曲の構造によって2番の歌詞の意味が重層的になる点にあります。「ナイトフライ」の場合も例外ではない。

コーヒーはたんまりある
タバコならチェスターフィールド・キングズ

 と、最初の2小節こそコーヒーとタバコでしっかり武装しているレスターですが、突然、感情を吐露し始めます。

なのに泣きたい気分だ
氷の心ならよかった
氷の心

 単なるDJ稼業への愚痴ではありません。ここでは明らかに、彼は変調をきたしている。その証拠が、末尾のフレーズの繰り返しです。1番でブルースを遮るように語っていたレスターは、この2番では、「氷の心」と歌ったあと、「氷の心」ともう一度繰り返す。一度歌ったフレーズに対して再びねじ曲げるように繰り返すこの歌い方は、一人による掛け合いであり、ブルースの作法です。しかもこの繰り返しは、1番ではカウベルのリズムとキーボードのリフによって守られていた7小節目の領域に、規律を破るようにはみ出している。
 この変調が一過性のものではない証拠に、次にも同じことが起こっています。

もし大切な彼女に
とびきりの格好をさせたいなら
ぜひ手に入れたいあの青い小瓶
パットンのキス&テル
キス&テル

 この一節は、おそらく、ラジオの合間にDJ自らがお知らせする化粧品のCMなのでしょう。ならば、最後の「キス&テル」は、明るい商品名の連呼であるべきところです。ところが、レスターときたら、まるで絞り出すような声で、「キス&テル」を繰り返しています。恨み節でも唸るようなその歌声は、またしても7-8小節目までブルージーにはみだしている。もしかすると、彼はこの商品に何か忌まわしい思い出でもあるのかもしれません。あるいは、「キス&テル」というフレーズが示す別の意味、つまり「セレブとの過去の情事をばらす」という含意に、何か突き刺さる連想を感じているのかもしれない。
 ともあれ、2番での彼は、明らかに自身のコントロールを失っています。1番でブルースの力を遮ってきたカウベルとキーボードの防御は破れ、歌い手はブルースに囚われている。2番の前半は、いわばブルースの逆襲であり、主人公の感情がいよいよ噴出しようとしていることを示しています。

 もはや、1番では快調にきこえていた「お送りしているのはここベルゾーニ山麓」という決めぜりふまで、いまや心なしかやけくそに響いてきこえる。彼はどうしてしまったのでしょうか。


【DJの告白】

 2番で、どうやらこのDJレスターは、自身を動揺させるような、ある衝動に囚われているらしいことがわかってきました。それが何かは次のブリッジで明らかにされます。

みなさんは信じられないでしょうが

かつてわたしの人生にも

恋がありました

 レスターはリスナーにさりげなくプライヴェートを明かすように、告白を始めます。しかしこの告白は、(リスナーの)みなさん you をほったらかして、レスター自身の考えへと沈潜していきます。

ときどき考えてしまう

あの情熱がなんだったのか

答えはいまでも同じ

君のこと、君、君のこと

今宵、君のことを想っている

 ここで、フェイゲンは「you」という代名詞を巧みに異化しています。これまで「you」ということばは、もっぱらリスナーを指し示してきました。ところが、このブリッジでは、「それは君 It was you」と、「you」を彼にとって特別な誰かへと定義し直している。この「you」こそ、おそらくは彼のかつての恋人であり、彼の感情を吹き出させている源泉なのでしょう。「you」の意味の決定的変化は、一度目の「それは君 It was you」でのほとんどブレイクに近い音数の切り詰め、それと対照させるかのように三度目の「それは君 It was you」にほどこされる劇的なコード進行によって、印づけられています。
 (もちろん、ラジオ放送やラブソングのお約束として、リスナーは、「それは君」と言われて、「わたしのことだ!」と勝手にときめくことができますが、それは各自で。)

 そして、高らかに歌われる「今宵、君のことを想っている」は、過去における想い it was youを現在の想い you’re へと転換する時制の変化もさることながら、その音韻が実にドラマティックです。

Tonight you’re still on my mind

 ご覧のようにこのフレーズは、「I」音を含む「Tonight」で始まり、「my」「mind」と、「I」音を三度繰り返している。その点で、先の「今宵こそ我が世の夜 Tonight the night is mine」とこのフレーズとは兄弟です。一点違うのは、「I」音の繰り返しの中に「you」が含まれていること。つまり、「今宵こそ我が世の夜 Tonight the night is mine」という「I」音の繰り返しは、「you」というかけがえのない存在を思い出すことによって、「今宵、君のことを想っている Tonight you’re still on my mind」というyouを含む形式へと変容している

 DJレスターはここで、ことばの内容のみならず、その音韻によって、「you」こそが今宵の彼を襲っている衝動であることを漏らしているのです。


【音楽のスペースへ】

 リスナー参加型番組を装って始まったこの歌は、もはやリスナー you ではなく、君 you に呼びかけている歌となってきました。特別な君「you」の登場によって、曲の印象はがらりと変わりました。間奏でカウベルの音とともに自由さを増すラリー・カールトンの華麗なプレイも、まるでDJレスターの感情の陰画にきこえるほどです。もしかすると、この歌全体が、あのセブン・セカンド・ディレイによってカットされた、君 you に対する彼の告白なのかもしれない。そして、スムーズなサウンド・ロゴも決めぜりふも、番組の形を借りたレスターの夢想なのかもしれません。

 そして何よりも、スイート「ミュージック」というコーラスが、新たな感情を伴って耳に響く。なぜなら、「music」は「you」の音を含んでいるからです。なぜコーラスが「スイート・ミュージック」ではなく「ミュージック」という一単語のみを歌っているのかも、これではっきりしました。コーラスは、youの音を含む「ミュージック」の部分だけを、あたかもコールサインを告げるようにくっきりと浮き立たせているのです。

 レスターはこの、「music」に埋め込まれた「you」の響きに応えるように再びあのフレーズを繰り返します。「今宵こそ我が世の夜 Tonight the night is mine」。youなき3つの「I」音からなるフレーズ。そしてこの深夜放送 late line を貫く音は、「through」。そこでコーラスによって引き延ばされている音も、いまや別の響きを帯びて感じられる。そこで夢見るように伸びていく音は、youと同じ持続音u:だからです

 どうやら「ナイトフライ」のコーラスの意味が明らかになってきたようです。ここまで見てきたように、この曲のコーラスは、ただのサウンド・ロゴを歌う声ではない。彼らの声は、DJレスターに「you」のありかを告げるミュージックの守護天使であり、youの残滓である持続音u:に浸るための薬なのです(Are you with me, Dr. Wu?)。
 DJは、深夜 late lineと天窓 skylightとの間で、コーラスの歌う君 you の埋み火 u: を聞いている。その持続音は、歌が終わったあとも続いている。まるでそれが、天窓を貫いてくる幻想であるかのように。いまやコーラスに召喚されるように、冒頭でオンエア感を醸していたシンセも感情の陰画を奏でていたギターも静かに加わり出して、ラジオ番組にまつわるすべての「音楽」が、まるでレスターの夢想を包み込むように集まっている。

 これで、冒頭のリスナーとのやりとりがどのような効果を持っているかもわかってきました。空の帽子をいわくありげに見せた手品師が同じ帽子から鳩を取り出してみせるように、この歌は、まずリスナー you との味気ない会話に続けてサウンドロゴやコーラスをいわくありげにきかせておき、あとに表れる特別な君 you 、かつての恋人である you によって、同じコーラスを全く異なるものに変容させているのです。

 そして、「you」の変容を経て、曲を最後まできき終えてみると、この歌全体の印象もがらりと変わります。ここでもう一度、この歌の冒頭のフレーズを思い出してみましょう。「こちらレスター・ザ・ナイトフライ I’m Lester the Nightfly」。実は、この冒頭のフレーズもまた、I, night, flyという3つの「I」音の繰り返しです。この曲は最初から、「I」音の繰り返しを埋め込むように作られていたのでした。この曲を最後まできいた者は、ここでやはり3つの「I」を埋め込んだあの告白、「今宵、君のことを想っている Tonight you’re still on my mind」を思い出して、はっとすることになります。「I’m Lester the Nightfly」には「you」がない。そして、「ナイトフライ」というタイトルこそは、「you」の不在を最もシンプルに表していると言えるかもしれません。なぜならそれは単純に、2つの「I」音を並べた名前だからです。

 ようやく、わたしたちは、この歌のタイトルの持つ、もう一つの意味にたどりついたようです。DJレスターは、自らを「ナイトフライ the Nightfly」と名付けた。それは、夜の飛翔というロマンティックな意味を連想させる一方で、音韻の上では「you」なき「I」音でできた、皮肉な記号でもある
 二つの「I」音がスペースをはさむことなく門を閉ざしている造語、Nightfly。それは(「ディーコン・ブルース」がそうであるように)夜に生きる負け犬の名前 a name when I lose と言えるかもしれません。

***

 二つの「I」音を持つ男、「ナイトフライ the Nightfly」。曲のタイトルはそのDJ名を冠したシンプルな2つの「I」音から成り、歌は、そのタイトルを見開くように、3つの「I」音からなるフレーズで始まります。リスナーを軽々とあしらっているかに見えるDJは、3つの「I」音のバリエーションを幾度も唱えるうちに、いつしかコントロールできないブルースの衝動にかられる。リスナー you は君 you へと変容し、DJの唱える「I」音の間に埋め込まれる。
 コーラスは「音楽 music」と唱えながら、DJの衝動のありかである you を示す。そしてDJが君 you への未練を滑り込ませるように深夜放送 late line にu:の音を放つと、コーラスは彼に和し、夜を貫いていく。その声はもう一つの「I」音、天窓 skylight との間で漂いながら、朝陽を待っている。

 あたかも、「Nightfly」の持つ二つの「I」音の間にスペースを入れ、夜 night と上昇 fly の隙間に、幻想の「you」を招き入れるように。

ロゴ:平松るい / 文 : 細馬宏通

        
細馬宏通
細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年生まれ。現在、滋賀県立大学人間文化学部教授。 専門は日常会話の身体動作研究とメディア史。介護、手話会話、演劇、ゲームなどさまざまな場面で人の動作について考える一方で、明治期以降の塔や絵はがきの果たした役割について論考しています。著書に『浅草十二階』『絵はがきの時代』(青土社)。バンド「かえる目」では、ボーカルと作詞・作曲担当。 ブログ:http://12kai.com/wp/ かえる目:http://12kai.com/kaerumoku/