うたのしくみ Season2 第3回 二つの声の物語 — キリンジ『悪玉』 –

 さて、前の二回は男女のデュエットについて話したのですが、男女に限らず、複数で歌うということには、必ず「いつ、どちらが(あるいは両方が)歌うのか?」という問題がつきまといます。今回は、この問題を別の角度から考えるべく、あるバンドを取り上げようと思います。それは、キリンジです。

 キリンジは1996年から、堀込高樹・堀込泰行兄弟を中心とするバンドとして活躍し、2013年からは堀込高樹がバンド編成の新生KIRINJIを引き継ぎ、堀込泰行が単独で活動を始めました。
 二人の歌声は似ていますが、ごく主観的にその特徴を書くと、堀込泰行の声はより芯があって広いところで響くようであり、一方、堀込高樹の声にはくぐもった粘りがあり、より密室的な感じがします。
 兄弟時代のキリンジでは、多くの曲で堀込泰行がリード・ボーカルをとっていることもあって、キリンジが「デュエット」あるいは「デュオ」と呼ばれることはほとんどありませんでした。しかし、例外的に、二人がともにリードをとる曲があります。その一つが、今回取り上げる『悪玉』(作詞・作曲:堀込高樹)です。アルバム「」に収められたこの曲は、シングル・カットされていないにもかかわらず、ファンの間で人気が高い曲で、わたしの周囲でもこの曲をベストにあげる人が何人かいます。

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 ところで、奇妙なことに『悪玉』という歌は、数少ないキリンジのデュエット曲であるにもかかわらず、およそデュエットにふさわしくない体裁をとっているように見えます。というのも、二人で歌うにもかかわらず一見したところ歌に登場する人物は一人しかいないからです。小さな息子を持つプロレスラーが最後の試合に向かうという、ポップス史上類を見ない状況を歌っているものの、そこには、対戦相手の声も息子の声も含まれていない。

 もう一つ奇妙なことは、これが最初から最後までプロレスのことしか歌っていないにもかかわらず、わたしのようなプロレスに詳しくないきき手にも、なぜかぐっときてしまうことです。
 プロレスとキリンジに詳しい私の知人は、この曲がマンガ「プロレス・スーパースター列伝」のアブドーラ・ザ・ブッチャーの回から着想されたらしいと教えてくれました。わたしは、そのマンガを偶然にも読んだことがありましたが、『悪玉』をきくときにブッチャーのイメージが役立っているかと言うと、答えはノーです。「血のしたたるステーキ!」とぶつぶつつぶやきながら相手に貪欲に立ち向かっていくマンガのブッチャーのイメージは、この歌と必ずしもうまく重ならないというのが正直なところです。かといって、別のヒールを思い浮かべることができるかと言われると、プロレスの知識に乏しいわたしの頭には、この歌にふさわしいモデルが思い浮かびません。
 では、コアなプロレス・ファンとしての感情移入でも、ブッチャーに対するシンパシーでもないとしたら、いったいいかなる物語が、わたしをかき立て、血湧き肉躍らせるのでしょうか。
 というわけで、今回はこの『悪玉』のうたのしくみを考えながら、この曲のもたらす興奮のありように少しでも近づけるといいなと思ってます。

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 先ほども書いたように、全体を大雑把に考えると、『悪玉』は、とあるヒール(悪役)レスラーの物語です。しかし、歌をきくときに、わたしたちはあらすじを一気に把握するのではなく、歌のことばによって物語が更新されてゆく過程を楽しんでいるはずであり、物語の興奮もまたそうした過程から醸し出されていくはずです。そこで、ここでは結論を急がずに、最初から順を追って歌を追っていきましょう。

 まず最初にボーカルをとっているのは堀込泰行の方です。

足に科せられたチェーン  白く光るコロシアム
異教徒のごとく礫(つぶて)を投げられて
勝つことを許されない二流で無名の悪玉(ヒール)
反則負けこそが最高の名誉

 あたかも舞台装置を配置するような体言止めの多用。「二流」「無名」「悪玉」というネガティヴ・ワードの三本立て。だめ押しに「反則負け」を「名誉」に貼り付ける念の入りよう。「ごとくつ(ぶてを)」「(負)けこそが」と深刻さをあざ笑うかのように軽々しく半音で下降するメロディ。これは明らかに、主人公である悪玉のことばではなく、そこから距離をとった物語のナレーターのことばでしょう。堀込泰行の声は、叙述的なことばを歌うときに、その明快さによって乾いた皮肉を響かせることがありますが、この四行ではまさにそういう感じが出ています。
 コード進行もまた、奇妙なものです。冒頭こそ素直なCのコードで始まるものの、一行目と三行目の終わりでは、不穏なディミニッシュ・コードの礫が投げられて、さらに二行目と四行目では、スケールにないBbの基音が、ことばを不安定な宙吊りにして次の語りへと受け渡します。

 さて、何ともさえないレスラーの姿が語られたところで、ここからボーカルは堀込高樹へと交替します。

打ちのめされたこの背中を
息子のお前もさげすむのかい

 歌い手が交替するだけではない。ことばづかいが明らかに変化しています。体言止めはもはやなくなり、「かい」と語りかけるような終助詞が使われている。しかもことばのテンポは急に間延びして、裏拍を漂うように進んでいきます。これらの変化は、ナレーターのストックフレーズを用いてぽんぽんしゃべる口調から主人公の屈折した口調へと歌が移行したことを示しています。
 主人公の思考は、ナレーターのネガティヴな描写をそのまま引き継いで、哀しい家庭の事情を明かすのですが、彼の語りをさらに暗くしているのが、「さげすむのかい」に設えられたコードです。「さげすむのか」には、シンプルなマイナーコード(Em)が当てられているものの、メロディはこのコードのまわりをたゆたうように揺れています。そして、語尾の「い」に至ると、マイナーコードにはさらに複雑な陰影をほどこすように、マイナーメジャー7が付け加わり、さらにくぐもったベースが加わります(EmM7 on A)。
 このコードがいかに不穏な雰囲気を醸し出しているか、ちょっと歌ってみましょうか。どんな響きになっているかきいてみたい方はどうぞ。




 ちなみにこのマイナーメジャー7 on 4とマイナー7-5の多用は、キリンジの楽曲の大きな特徴ですが、重要なことは、これらの「陰鬱なコード」が単に彼らの曲を不必要に彩っているのではなく、むしろここで見たように、歌詞に暗い予感を投げるべく必然的に用いられているということです。コード展開だけを追うのではなくそこに乗せられた歌詞とメロディを見ることで、彼らの歌にはさらなる奥行きが感じられるようになるのですが、その話はまたの機会にするとして、再び『悪玉』へと戻りましょう。

 主人公の独白は、ここから急にリベンジへと裏返ります。

今宵こそ、見てろよ

 ということばとともに、曲はアクロバティックな返し技のようなコード進行によって、いきなり華やかなライトの下に出るかのようなG調へと転調する。そして見よ、この瞬間、これまで別々に歌っていた二人の声が、さっと重なるではありませんか。これは意外な展開だ。いよいよ物語は、試合の本番へと突入するのでありましょうか。
 いや、その語り口はまだまだ油断なりません。主人公とナレーターのことばは重なっているものの、一致団結して物語をすすめるというよりは、お互いに微妙な押し引きを繰り返しているからです。その過程を見ていきましょう。

高らかに鳴るテーマと決めぜりふ
“破壊の神シヴァよ、血の雨を降らせ給うれ!”

 「高らかに」テーマの開始を告げるこのフレーズの冒頭ではコーラスのハーモニーを伴いながら、堀込泰行の声がより前に出ていかにも明るいトーンになっています。そして、言い回しのほうは、体言止めによって、前半部の言い回しを復活させている。ナレーター的な語りです。一方、続く「破壊の神シヴァよ」という決めぜりふの本体部分は、すっとユニゾンになり、堀込高樹の声が前に出ます(彼の声は、こういう禍々しいフレーズを歌うときに粘りつくような独特の味を出します)。ここには主人公の声が召喚されていると言えるでしょう。

 ところが、せっかく鳴らされたテーマには、過去の暗い影が兆します。

熱い汗をまとい凍える魂
引き際を鮮やかにする哀しい知恵

 せっかく決めぜりふで見得を切ったのに、あとに続くのはまたしても体言止めの連続。語られているのは悪玉の哀しい性。そしてここで再び前に出てくるのは堀込泰行のナレーター的な声です。「引き際を鮮やかにする」「哀しい知恵」と続くネガティブなフレーズは実に鮮やかかつ伸びやかに歌われるため、悪玉の立場はますます哀しくなっていく。メロディとコードもいけません。せっかく高らかに鳴るテーマと同じメロディを繰り返そうと「熱い汗」を歌い始めたのに、いつのまにかあの「陰鬱なコード」が再び忍び込んできて、引き際を「鮮やかにする」というフレーズにアンダーラインを引く。この悲観は何のざまか。あやうし悪玉。
 こんなとき、いつものキリンジならば、堀込泰行が地声とファルセットの間をなめらかに行き来し、ハイトーンのスウィートソウルをきかせてサビを切り抜けるはずです。ところがどうしたことか、歌はいまや高音の聞かせどころにさしかかろうとしているのに、声の比重は堀込高樹へと移り、かぼそくなっていくではありませんか。

吹っ切れたならば

 ああ、なんとも心許ないファルセット、そして心許ない仮定法。こんな声では、悪玉の命運は尽きたも同然だ。そう思った瞬間、思わぬことばがひっそりとつぶやかれます。

俺は自由

 突然、一人称の必殺技「俺」です。これまで、主人公が悪玉なら当然用いられるであろう「俺」は、意外やここまで一度も用いられることはありませんでした。しかし今、悪玉は、まるで自信満々でトップロープから飛び降りてきた相手にすっと地獄突きを差し出すように、一人称の「俺」を静かに差し出している。あたかも、ここまでナレーターによって好き放題に言われ続けてきた自身への形容を、まるごと「俺」のネガティヴな思考にすり替え、そのネガティヴな「俺」ごと葬らんとするかのように。そして、新しく生まれ変わったこの「俺」はいよいよその不穏な力を発揮すべく、「自由」ということばを、兄弟の暗く静かなハーモニーによってつぶやいている。
 そして、人を小馬鹿にするようなキーボードの軽い音色を経て曲が再びイントロに戻るとき、きき手はこの静かで禍々しいつぶやきが一番の終わりであったことに気づいて愕然とします。

 こうして聞いていくと、「悪玉」は、単にプロレスラーの物語であるだけでなく、堀込泰行、堀込高樹によって演じ分けられる声の物語でもあることがわかってくる。すなわち、悪玉のことを高みから語ろうとするナレーターと、その高みからの決めつけを跳ね返そうとする悪玉自身との相克の物語です。

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 さて、物語は二番へと続くのですが、意外にも、先にボーカルをとるのは、一番とは逆に、堀込高樹の方です。彼の声は、まるでいままでのナレーターの態度を皮肉るように、くぐもった声でその口調を真似、体言止めと半音下降を使ってきます。

これは因縁のカード リベンジを狙う悪玉(ヒール)

 そして、いったんは真似たその高慢ちきなスタイルを、投げ捨てるようにこう言い放ちます。

花束も凶器も もやは要らないぜ

 「花束」「凶器」ととともに、体言止めのスタイルまでマットに叩きつけるような返し技です。しかし、いかんせんその声はレスラーとは思えないほど頼りなく、内容に比していささかパフォーマンスが弱々しい。なんとも不安を感じさせる立ち上がりだ。こんな悪玉で果たして大試合を乗り切れるのでしょうか。

 ところが、なんということでありましょう、ここで堀込泰行がそれまでのナレーターの地位をかなぐり捨て、加勢に回るではありませんか。

捨て身の奴に負けはしない
守るべきものが俺にはあるんだ
このラストスタンドに

 これは掟破りの振る舞いだ。そしてなんと雄々しい、なんと意外な声だ。これまで立場の違いから結託することのなかった堀込泰行が、いまやタッグを組んで、自ら退路を断った悪玉の堂々たる決意表明を力強く歌い上げる。予想だにしなかった展開です。
 「このラストスタンドに」と大見得をきった堀込泰行は、次の展開に対して身構えるように、「」と裂帛の気合いを入れてから「高らかに鳴るテーマ」を歌い出します。そして再び始まるコーラスでは、体言止めもナレーションももはやいらないぜとばかりに、二人の声はともに主人公の啖呵となって、「冷酷なこの世から目をそらすな」と警告し、「未だかつてない悪意」を予告する。ここに至って、悪玉は圧倒的な強さを発揮しています。振り切れ、いまこそ俺は自由

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 しかし、この歌の真の驚きは、二番が堂々と歌われ、もはや試合の行方がおおよそ決したと思われたその直後にやってきます。コーラスの終わった直後、堀込高樹の小さな、だがしたたかな声が、ぽつりと言い添えるのは、

「マイクよこせ、早く!」

 何というどんでん返し、これはただのマイクパフォーマンスを求める声ではない。ここまで散々きき手にマイクを通してこの物語を語ってきた声が、あろうことかそのマイクを使いながら、「マイクよこせ、早く!」と訴える声です。これはさながら、散々パイプを見せつけておきながら「これはパイプではない」と題名をつける画家の手口だ。

 いやしかし、両者にはいくばくかの隔たりがある。美術が空間芸術であるのに対し、音楽は時間芸術です。『これはパイプではない』が、パイプを描きながら「パイプではない」とタイトルを入れることで、観る者に「パイプ」の絵と「パイプではない」というタイトルとの間を往復させ、その意味を宙吊る技であるとすれば、『悪玉』は、マイクで語りながら「マイクよこせ、早く!」と歌うことで、歌全体が実は「(本当の)マイクを用いずに語られてきたことば」であったことをきく者に気づかせ、その意味をまるごとうっちゃる時間差技と言えるでしょう。ともあれ、これまでマイクによって語られてきた物語は、この「マイクよこせ、早く!」という決めぜりふによって、オフマイクの心象へと退けられるのです。
 後半に夢のように淡く歌われるフォールのシーン(そこにまたもきこえる「陰鬱なコード」!)も、席を立つプロモーターたちの姿も、観客席に渦巻く罵声も、主人公の頭の中にだけある、不安の入り交じった未来に過ぎない。この長い歌の「あと」にこそ、悪玉はいよいよ本物のマイクを握り、現実という闘いに挑み、息子の無垢なる笑顔を見いだすのだ。かくしてきき手は、これから繰り広げられるであろう戦いの予感に震えながら、歌をきき終えることになるのです。

 『悪玉』を、なぜわたしは何度もきき直すのか。それはおそらく、この歌が、声の旅であり、声の帰還だからです。時間の海を伸びやかに泳ぐ堀込泰行の声と、甘くすがりつくような堀込高樹の声、二つの声は歌の各所に待ち構える旋律の荒波を、それぞれのやり方で乗り越えながら、6分5秒にわたる旅を続けている。声たちは、幾たびも襲う陰鬱な予感を振り切り、旅の終わりに据えられた、歌声のためのものではないもう一つの「マイク」にたどりつこうとしている。「マイクよこせ早く!」という掛け声は、歌からこの世へと生還するための呪文であり、『悪玉』をきくという体験は、危うい旅を複数の声の力によってくぐりぬけ、旅から帰還する方法を思い出させてくれるのです。

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 2013年に行われた兄弟時代のキリンジのラスト・コンサートは、意外にも数あるシングル曲ではなく、この『悪玉』によって締めくくられました。派手な演出を排し、曲がりくねったコードとメロディを乗り越えていくそのタフな生演奏ぶりは、これがバンドのラストナンバーなのかと思えるほど着実なもので、不遜なナレーターの声も、震えるような主人公の声も、二人による決めぜりふもみるみる過ぎていく。
 そしていよいよ最後のフレーズにさしかかったそのとき、堀込泰行は「みなさんご一緒に」と言ってからマイクを客席に、というよりは虚空に向けました。観客は一斉に、あたかも見えないマイクを求めるように「マイクよこせ早く!」と唱和する。ああ、いままさに歌は終わる。
 着実なビートで終奏を刻みながらメンバー紹介を済ませたあと、最後の最後に、キリンジはフォールを夢見る「陰鬱なコード」をテンカウントゴングのように長く引き延ばして退場しました。

 では、ここで新生KIRINJIの新たな船出を告げる2014年のシングル、『進水式』をきいてみましょうか。

ロゴ:平松るい / 文 : 細馬宏通

        
細馬宏通
細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年生まれ。現在、滋賀県立大学人間文化学部教授。 専門は日常会話の身体動作研究とメディア史。介護、手話会話、演劇、ゲームなどさまざまな場面で人の動作について考える一方で、明治期以降の塔や絵はがきの果たした役割について論考しています。著書に『浅草十二階』『絵はがきの時代』(青土社)。バンド「かえる目」では、ボーカルと作詞・作曲担当。 ブログ:http://12kai.com/wp/ かえる目:http://12kai.com/kaerumoku/