第25回 頭の中の圧縮と解凍

【A】

kanji

 そんなに機会は多く無いのだが、年に数回手紙を書くことがある。「手紙」なのでもちろんメールではなく、万年筆で、手書きだ。

 普段は、思いついたことを書く殴り書きのメモを除いては、ほとんどiPhoneかMacにキーボードで入力する形で文章を書いているので、このような機会の度に、自分が漢字をかなり書けなくなってしまっていることを思い知らされる。

 いつもそういう時はなんとなくで済まさずに、必ず国語辞典で確認するようにしているのだが、生憎手元に無かったので、昔もらった電子辞書を使って調べることにした。

 曖昧な文字を調べようと検索してみた所、いつもは気にせず使っていたのだが、検索結果の文字の表示がおかしい。正確に言うと、目の前の液晶に表示された文字が、かなり簡略化されたものであったことに気がついた。

 確かに、検索結果はできるだけ多くの件数を表示した方が便利だ。加えて、この電子辞書の液晶のサイズが元々狭かったこともあって、かなり少ないドット数で複雑な漢字の形状を再現する必要がある。

 そのため、電子辞書ではその文字っぽく見えるように工夫して簡略化した文字を作って、読めるようにしていた。

 私はうろ覚えな文字の詳細な形を求めて検索していたので、違和感を感じたが、こんなに省略しているのにも関わらず「読めている」という事実と、その大雑把な簡略さ加減を今まで全く気にしていなかったことに驚いた。

 元の字と比較すると全く違うにも関わらず、私は読めてしまっている。おそらくこれは、「どこかでこの文字を見たことがある」「熟語など、前後関係につながりのある文字の形を大体知っている」からこそできる能力なのだろう。

 そもそも全ての漢字を完璧に覚えている人は中々いないと思うのだが、もし、全く知らない文字を調べようとした時に果たして読むことができるのかどうかは非常に興味深い。

 なお、調べたかった文字の正確な形は、検索結果を選択したら、簡略化されない形で大きく表示されたので、安心してその液晶を見ながら手紙を書くことができた。


【A’】

 昼休みに良く行く中華料理店がある。この店は、料理が出てくるのが遅いという特徴を持っているため、普段はメモを持って行き考え事をしながら待つのだが、その日は忘れてしまったので、店に置いてあったテレビをぼんやりと見て待つことにした。

 テレビでは昼のワイドショーが流れており、元首相のとったある政治的な行動についての解説を行っていた。私がその番組を見て気になったのは内容よりも、画面に表示されていた見出しだ。

 テレビ番組、特にニュース等は、どのタイミングでテレビを見始めてもその時何の話題をしているのかが分かるように、画面のどこかに今話題にしているテーマを表示し続けている。

 私が見た時には、画面の右上に「何故●は〜したのか」という見出しが表示されており、●の部分には、名前ではなく、なんとその元首相の顔写真だけが嵌め込まれていたのだ。

 名前だけ見て本人のことをイメージできない人が多かったのか、名前も含めると文字だらけになってしまうことを嫌ったのか理由は分からないが、確かにこのやり方のほうが文字で読んで解釈するよりも格段に早く、認識することができる。

 このような事例を見ると、テレビは、興味や関心、知識もバラバラな視聴者全体のストレスを如何にして減らすかというアプローチで進化してきたのだということが分かる。

 それが私たちにとって本当に良いことなのかは分からないが、とにかく、視聴者に思い出したり考えたりすることを強いることなく、瞬時に伝えるという点においては、日々進化しているようだ。

 ちなみに私は、このニュースの内容を、全く覚えていない。


【B】

 少し前に、職場でとある業界誌のコラムを読んでいた。内容としては新商品や季節ごとのイベント、各地方の専門店の売れ行きなどが詳細に解説されているのだが、その中に毎回300字程度の小さなコラムがある。

 おそらく、編集長が書いていると思われるそのコラムは、業界の問題点を指摘したり、将来の日本を憂いたり、その業界だけに留まらず、その時気になったトピックについて自由に書くというものらしかった。

 業界の状況を淡々と記述している他の記事とは違って、個人的な想いのようなものが滲み出ているそのコラムは誌面の中でかなり異質な存在であった。

 私が読んだ時には、コラムではTPPについての話題が取り上げられていたのだが、少々異常事態が発生していた。というのも、その文中に「TTP」「PPT」「TPT」「TPP」と4種類の単語が登場していたからだ。

 お気づきの通り、全て違うものを指している言葉ではなく、前の3つは全て誤植だ。皆さんもこれを読みながら「ちゃんと校正してないのかな?しょうがないな」と思われただろうが、この「TPP」という単語が、Trans Pacific Partnership(環太平洋経済連携協定)の略称であることや、一体どういう取り決めの内容になっているのかということまで知っている方は、あまり多くないのではないかと思われる。

 例えば、私たちが日常に使っている単語であるNHKもDVDもPDFも、一般的にはもう正式名称を省略したものというイメージは無く、略称そのものが名前となっており、それがそもそも何の言葉を縮めたものなのかはどうでもよくなってしまっている。

 もちろん、知らないといけないということではない。ただ、自分が何気なく使っている言葉の正式名称を一度調べてみると、その言葉の定義や本来の意味がよく分かるので、おすすめしたい。正式名称による意味を理解することができれば、例えば前述の誤植のような間違いも、自信を持って発見することができるはずである。


【B’】

 実家に帰ると、必ず近くにある巨大なホームセンターに行くことにしている。別に買いたいものがあるわけでは無いのだが、1つの街のような普段とは全く異なる巨大なスケールで店舗が存在していること自体が面白く、ぶらぶらと歩き周りながら色々なものを見て回っている。

 というわけで、巨大ホームセンターの中をキョロキョロと見回しながら歩いていると、目覚まし時計の売り場を通りかかった。

 店全体が巨大ということは、結果としてそれぞれの品揃えも豊富になっていく。目覚まし時計も、こんなに種類が地球上に存在していたのかと思うほどの品揃えだ。鳩時計を模した高級なものから、目を覚まさせるということだけに心血を注いだ、異常な音量の目覚まし時計まで幅広い。

 そんな中、突然「起きろ!起きろ!時間だよ〜、時間だよ〜」と私の耳元で聴きなれた声が流れ始めた。振り向くと、ドラえもんの形をした目覚まし時計が、にっこりと揺れている。

 誰かがイタズラでアラームの時刻を設定して、そのままにしておいたのだろう。平日かつ店舗自体が広大だということもあり、ちょうどその時周りには、客も店員も、誰もいなかったので、「時間だよ〜」というドラえもんの声は、止まらず鳴り続けていた。

 「ん?『時間だよ』??」

 私は何度も繰り返されるこのドラえもんの言葉が気になった。おそらくこの言葉は正確には「(あなたが起きようと思って事前に設定しておいた)時間(になったん)だよ」ということなのだろう。それを「時間だよ」と一言に省略している。そして、それを聞いた私も何も疑うことなく、「セットした時間になったのか」と思っている。

 もちろん、内蔵されているICの記憶容量の節約や、毎朝「きみが起きようと思って事前に設定しておいた時間になったよ、起きて!」とドラえもんが繰り返して言うのもおかしいので、この言葉になったことは分かる。

 ただ、「時間だよ」という言葉の中に、これほどの意味が圧縮されて詰め込まれていることがとても面白かった。


【AA’=BB’】

 今回は、私たちが日々の生活の中で行っている「省略」という行動をテーマとして取り上げた。AA’では視覚的な省略、BB’では言葉の省略を事例として取り上げている。

 省略にはある重要な条件がある。それは、「あとで元の情報に頭の中で戻せるように、その情報の核になる部分は省略せずに残しておく」ということだ。

 私たちは、断片的な情報を元に、文脈や経験から推測して、圧縮された情報を元の情報へと解凍し、理解する。それができるということがそもそもとても面白いのだが、一般的には、上手く省略できていないために情報の解凍が不十分になってしまい、誤解が生じるというケースがほとんどだろう。コミュニケーションにおける誤解の大半は、解凍する側ではなく、圧縮する側の不十分な省略によって発生している。

 では不十分な省略は何故発生してしまうのか。おそらくそれは、相手と自分の知識や文脈が共有されていないために起こるのではないだろうか。

 「きっと分かってくれるだろう」「たぶん知っているだろう」という考えは、ある意味で相手を信頼した「性善説」のような在り方に思えるが、見方を変えれば「面倒くさい解釈を全て相手に丸投げしている」ということでもある。

 常にどのような知識や文脈が共有されているのか、相手の状況をできるだけ正確に推測し、それに合わせて適切に情報を圧縮して伝える。これを繰り返すことで、誤解やそれに伴う争いも減るのではないかと思う。

 そして私たちの社会では、そういう相手を慮る行為のことを「サービス」と呼んでいる。

画・文 : 菅俊一

        
菅俊一
菅俊一(すげ・しゅんいち)
会社員/研究者/映像作家
1980年東京都生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科修了。在学中より人間の知覚能力に基づいた新しい表現の在り方を研究し、映像やグラフィックをはじめとした様々な分野に定着させる活動を行なっている。主な仕事に、NHK Eテレ「2355/0655」ID映像の企画制作、著書に「差分」(共著・美術出版社)など。2012年、D&AD Yellow Pencil受賞。http://syunichisuge.com/