第24回 同時に起こるとわかること

【A】

 最近、仕事場の周辺で様々な工事が増えている。年度末が近く納期が間に合わないのか、昼も夜もお構いなしで工事の音が鳴り響く。オフィスの中では窓が閉まっているのでそこまで音は気にならないのだが、トイレは窓を開けているため、外の音がストレートに入って来る。

 そんな職場のトイレで、手を洗おうと蛇口をひねったその時だ。急に窓から「ズゴゴゴゴゴゴゴゴ」とドリルで穴を開ける工事の音がすごい音量で鳴り出したので、ビックリして思わず窓の外を見てしまった。

 私は、その工事の音量に驚いたのでは無い。目の前で蛇口をひねって水が出るタイミングと、音が鳴るタイミングが一致していたため、私が蛇口をひねってドリルの音を鳴らしたように、一瞬錯覚してしまったからだ。

 それは、完璧と言っていいほどのタイミングであった。もちろん、蛇口とドリルは全く関係が無い。しかし、ただタイミングが一致しただけで、私の心には「自分がドリルの音を鳴らした」という感覚が生まれてしまったのだ。

 手を洗い終わった私は、「これで蛇口を締めた瞬間に音が鳴り止んだらすごいぞ」と思いながら、かなりの期待とともに蛇口を締めたのだが、当然工事の音は止まずに鳴り響いていた。

 そこではじめて、私はそのドリルの音がかなりうるさかった事に気付き、そっと窓を閉めた。


【A’】

 以前職場のみんなで、配布する資料を1部ずつ封筒にまとめる作業をしていた時のことだ。何しろ数が多いので、効率を上げるために作業工程を細かく分担し、簡単な工場のラインのようなものを作って行っていた。

 その中の作業の1つに、テープで封筒の口をとじるというものがあった。作業のレベルとしてはとても単純なものなのだが、この作業の重要なポイントは、いかに封筒の口に「ピッタリ」と対応した長さにテープを切ることができるかというものであった。

 短ければ封をするためには2本以上テープを切って貼らなければいけない。一方、長すぎれば余りをわざわざハサミで切る必要がある。もちろん、テープを貼った裏側から表に折り返して貼るという手もあるのだが、そこからテープが剥がれてくる可能性もあるし、見栄えも悪いのできればやりたくない。

 通常、工場のように日々大量に前述のような作業が発生する場所であれば、自動で一定の長さのテープを繰り出してくれる機械があるため、そのような問題はあっさり解決される。しかし、私たちは普段からそのような作業をしているわけではないので、わざわざそんな機械を買うわけにはいかないし、必要だからといって今すぐに手に入るわけでもない。

 いずれにせよ、数百部の書類を用意しなければならないことには変わりは無いので、作業の効率を上げる必要があった私は、ある指標を使って全く同じ長さのテープを繰り出すことに成功した。

 それは、定規のような指標を用意して、テープの長さを目で見て比較するのではない。テープを引き出す時に起きる「ビビビビビッ」という音の長さを頼りに、一定の長さのテープを繰り出したのだ。

 同じスピード、リズムで「ビビビビビッ」と同じ長さの音が鳴るようにテープを引っ張っていくと、必ず一定の長さのテープが引き出せる。このことに気づいた私は、長さを一々目で比較することなく、テンポよく数百本のテープをほぼ同じ長さで引き出すことができた。

 というわけで、作業はみんなの力であっという間に終えることができたのだが、せっかく身につけたこの技術を再び発揮する機会がほぼないのは、とても残念だ。


【B】

 久しぶりに週末に予定が無かったので、気になっていた展示をいくつかまとめて回ることにした。ギャラリー間の移動だけでなく、ギャラリーの中でも展示を見る時は歩き続けているため、疲れ果ててしまったのだが、予定していた最後の会場に向かうため、駅から少し離れたそのギャラリーへ向けて、最後の力を振り絞って歩いていた。

 既に日が落ち、辺りはすっかり暗くなっている中、道路の向かい側にある小さな工場の横を通りかかった瞬間、一斉に工場のライトが点灯し、辺り一面が明るくなった。

 よく住宅の前に防犯対策も兼ねて、センサーで点灯するタイプのライトがあるが、それとは全く違う。まず私は工場のすぐそばではなく、車道を挟んで向かい側の歩道を歩いていた。点灯したのは真横を通った瞬間であったが、私の姿がセンサーに反応したとは考えにくい。

 加えて、点灯したのは工場の看板や入り口を含めたかなり大掛かりなライトだったため、わざわざ人が通る度にセンサーで点けたり消したりするレベルではない。

 こういったことから総合して考えると、おそらく、普段からライトを自動点灯する時間が決まっており、私が通りがかった瞬間が、偶然その時間だったのだろう。

 こうやって頭で考えれば、偶然横を通った時と点灯のタイミングが同期してしまったということは分かるのだが、横を歩いた瞬間にライトが点灯した時は、何かが仕込まれていて、まるで私が通りかかるのを待ち構えていたかのように思えてしまったのだ。

 その瞬間、私は驚きと共になぜかとても嬉しい気持ちになり、少し元気を取り戻してギャラリーまで向かっていった。


【B’】

 仕事で印刷物の校正をする時は、当たり前の話だが「もしも」の時を考え、何度も何度もチェックを重ねる。たまに「めんどくさいしもう同じだから見なくても大丈夫だよ」と思うこともあるが、そうやって怠惰な仕事をした結果失敗した事例も知っているので、チェックを省くということは決して無い。

 しかし、人間は慣れる生き物だ。繰り返しチェックをしていると内容を覚えてしまうため、「めんどくさい」という感情が沸き起こる以前に、頭が勝手に先入観や思い込みで補完してしまい、些細な間違いがあることを見落としてしまう可能性が出てくる。

 そのような慣れによる見落としを防ぐために、例えば、毎回別の人がチェックを行ったり、一人が原稿を音読しもう一人が校正紙を見ながら確認するというような方法が取られて来たが、それでも人間が文字を見て意味を解釈するという行為が間に挟まってしまうため、勘違いや思い込みによって間違いを見逃すといったミスを完全に排除することは難しい。

 そういった、慣れによる意味の思い込みを防ぐ方法として印刷業者の方がやっていた、人間が「読まない」チェック方法も真似して取り入れることにした。

 それは、前回のヴァージョンと今回のヴァージョン2つの校正紙を同じ位置に重ね合わせ固定し、上の紙のみをパラパラめくるというものだ。もし、何か2つの間に違う箇所があれば、その部分だけがパラパラ漫画のように「動く」はずだ。

 私たちは、文字を読んで意味を解釈するのではなく、ただ「動く」部分だけを見つければ良い。そして全く動かなければ、2枚は同一の内容ということになる。この方法であれば、先入観や思い込みの入る余地は無い。

 もちろん、この方法にも全く同じ大きさ、レイアウト、書体でないと有効では無いという弱点はあるし、細かく内容を読むというチェックが必要なのは変わらないのだが、それでもチェックを繰り返して内容に慣れきってしまった頭には、とても有効な方法の1つではないかと思う。

 私たちは、日々膨大な量の出版物・印刷物に取り囲まれているわけだが、その1つ1つが、このような繰り返しのチェックの果てに存在していると考えると、本当に頭の下がる思いだ。


【AA’=BB’】

 今回、AA’では音と行為が同期する時に生まれる独特な感覚について、BB’では視覚的に何かが同期した時に起こっていることについて取り上げた。

 私たちは「同期している」ということに関して何故かかなり敏感で、同じタイミングで起こったことに特別な関連性を見出したり、同期していることを手がかりに眼に見えないところにある物の存在を理解したりすることができる。

 また、A’やB’の事例のように同期を手がかりにすることで、作業の効率や精度を上げることもできる。

 しかし、それ以上に興味深いのは、今回取り上げたような事例に遭遇した時に、私は「驚き」と「楽しさ」を感じていたということだ。「自分と自分以外が同期している」ことは、単純に驚きがあり面白い。

 だから、多くの映像作品は音と映像をどう同期させるか(あるいはズラすか)というところに苦心するし、体験型のエンターテインメント表現の多くは、日常では有り得ない同期を体感させることで、観客に驚きと喜びを与えている。

 日々の暮らしの中にある驚きや喜びと、私たちに大きな喜びや感動を与えてくれるような表現は全く無関係ではなく、実は根底で繋がっているのだ。

画・文 : 菅俊一

        
菅俊一
菅俊一(すげ・しゅんいち)
会社員/研究者/映像作家
1980年東京都生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科修了。在学中より人間の知覚能力に基づいた新しい表現の在り方を研究し、映像やグラフィックをはじめとした様々な分野に定着させる活動を行なっている。主な仕事に、NHK Eテレ「2355/0655」ID映像の企画制作、著書に「差分」(共著・美術出版社)など。2012年、D&AD Yellow Pencil受賞。http://syunichisuge.com/