第23回 「ということは、、、」

【A】

 秋から冬になろうかというある静かな夜のことだ。その日は急に気温が下がったためとても寒く、まだ寒さに対する策を全く講じていなかった私は、布団に潜り込んでもその寒さでなかなか寝付けず「明日はこの寒さをなんとかしないとまずいぞ」と考えながら天井を見ていた。

 すると、遠くで救急車のサイレンが鳴っていることに気が付いた。そのまま耳をすまして聞いていると、次第にサイレンの音が大きくなり、救急車がこちらに近づいて来ていることが分かった。私の自宅の前は大通りなので、「この道を通って先にある大きな病院に向かっているのだろうか」と思っていると、サイレンは一番大きな音になった瞬間、ピタッと止まった。

 「あ。」

 サイレンが止まったということは、救急車がそこで止まったということであり、救急車が止まったということは、そこに救急車の「現場」、つまり何らかの事情で救急車に頼る必要のある人がいるということになる。サイレンの音が「鳴っていない」ことから、実際に止まった救急車をこの目で見なくても確かにそこが現場だということがはっきりと分かった。

 しばらく物音1つ無い深夜の静けさが続いた後、サイレンがまた鳴り出した。サイレンの音は来た道を引き返すのではなく、近所の大きな病院のある方向へと遠ざかって行った。


【A’】

 かなり前の話になるのだが、テレビをつけると何かのコンテストの結果発表のシーンが流れていたので、ぼんやりとそれを眺めていた。

 私が見始めた時にはちょうど「では、結果発表です」というアナウンスが聞こえてきたところだったので、何のコンテストかは分からなかったのだが、とにかくステージ上には10人の参加者がいて、結果発表は10位から1位(優勝)まで順番に読み上げられていくというものであることが分かった。ある意味残酷にも思えるが、決勝大会のような事もアナウンスは伝えていたので、このステージに立っていること自体が、かなりの難関で名誉なことなのだろう。

 当然のことながら、参加者たちは皆優勝を狙っていたため、一つずつ順位が発表される度に応援に駆けつけた人達の「あ〜」という落胆した声が客席から聞こえてきた。

 順位の発表は淡々と進み、3位まで発表が終わったところで「では第2位の発表です」と2位の人の名前が発表された瞬間、また「あ〜」という落胆した声が聞こえたと思いきや、すぐに先程までとは全く異なる「わー!!!!」という大きな喜びの歓声が響いた。

 歓声を上げていたのは、優勝した人の応援団であった。

 つまり、2位が発表されたということは、必然的に最後まで名前を呼ばれなかった人が優勝者ということになる。往々にしてこのような結果発表の場合、3位まで発表された後は、最後に残った二人のうち優勝者の方の名前を読み上げるものだと思っていたのだが、この時は常に「下位から順番に発表する」というルールが徹底されていた。

 だから応援団の人達は最初から最後まで、自分たちの応援している人の名前が呼ばれないように願い続けたということになる。

 気の毒なのは、自分の名前が読み上げられることで喜びの歓声を上げられた2位の人だ。仕方ないとはいえ、ギリギリまで呼ばれなかったため「もしかすると1位なのかも」という期待も加わって、ショックは大きかったのではないだろうか。

 ちなみに、2位の人の名前が読み上げられた時に湧いた歓声が長引いていたため、その後に発表されたであろう優勝者本人の名前はほとんど聞こえないまま、その結果発表は終わった。


【B】

 先日、ある会合で韓国料理店に行った。実は唐辛子の辛さが苦手なのだが、私一人の好みで店を左右するよりは、みんなの行きたい店の方が良いと思ったため何も伝えず、「きっと辛くないメニューもあるだろう」とその日を迎えることとなった。

 直前に入れていた打ち合わせが長引いてしまい、遅れて店に到着すると「みんなもう結構食べたので、菅さんの食べたいものを頼んでくださいね」と言われてメニューを渡された。

 「いや、実は辛いものが苦手なんですよ」みたいな話をしながらメニューを見ると、2つほど特別な印がついている料理があった。

 以前タイ料理店に行ったときに、辛いものには印が付いていたことを思い出し、「ということは、僕はこの印が付いてない中から選べばいいんですね。結構辛くないもの多いんですね」と言いながら選ぼうとした瞬間、隣の人から「いや、印が付いている料理だけが、辛くないやつです」と衝撃的な情報が伝えられた。

 つまりこの店は「辛い料理が当たり前」の店だった。私が無事「辛くない料理」を食べるためには、メニューから注意深く印を探して、そこから選ぶ必要がある。

 当たり前の設定が変わると、「〜でないもの」を探す時の前提条件が全く変わってしまうことがあるのだ。

 色々迷った(と言っても選択肢は2〜3個しかなかったのだが)挙句、私は何かのチヂミを頼んで食べたのだが、印がついていたのにも関わらずかなり辛く、咳き込みながら慌てて水を飲んだ。どうやらこのお店の「辛くない」は、「私たち(辛いもの好き)の基準では辛くない」ということだったようだ。


【B’】

elevator

 会社の帰りに少し大きな書店に寄ろうと、駅前のビルに向かった。地下にスーパーのあるそのビルには、各階ごとに別のテナントが入っており、エレベータは入り口の近くに一箇所だけ設置されている。

 私がビルに入った時、ちょうどエレベータのドアが開いていたので、慌てて駆け寄って乗り込むことができた。

 エレベータの中は既に人がいっぱいで混雑していた。私は8階にある書店に行きたかったのだが、まだボタンが押されていなかったため、「すいません、8階のボタンを押して頂けますか」と声をかけボタンを押してもらった。

 しばらくしてエレベータが5階まで登ったところで客が一気に降り、エレベータの中には私と最初から隣に乗っていた男性の二人だけになった。

 私が押した8階以外に、もう一つ7階のボタンのライトも点いていたので、「ということは、もう一人の人は7階で降りるのだろうな」と思っていたのだが、エレベータが7階に到着しドアが開いても一向に降りる気配が無い。お互いに、開いたドアの先にある7階のフロアを見つめながらしばらく無言でいると、ドアが閉まり、エレベータは8階に着き、その人はドアが開いた途端にそそくさと降りていった。

 私も続いてエレベータを降り書店に向かいながら、今起こったことについて考えていた。

 可能性はいくつか考えられるが、もともと誰かが間違ってボタンを押していたために、先ほどのようなことは起こったのだろう。この状況だけでは、最後まで一緒に乗っていた人が間違って押してしまったのかどうかは分からない。7階で降りるつもりだったけど、気が変わって8階で降りようと思った可能性もある。

 重要なのは、私が「誰かが間違ってボタンを押している」という可能性を、頭の中から全く排除していたということだ。目の前の条件だけで「ボタンを押した階は必ず誰かが降りるはず」と決めつけて、それ以外の可能性を考えずに済ませてしまっていた。今回はエレベータのボタンという取るに足らない事例だったが、無意識に可能性を排除して推測してしまうのは、新しいミスを生む可能性があるなと反省した出来事であった。


【AA’=BB’】

 今回は、ある情報から「ということは、、、」と推測して、手に入れた情報とは全く逆の情報を得た事例について取り上げた。その中でもAA’では手に入れた情報によって推測をしているケース、BB’では逆に推測したが裏切られてしまったケースについて書いている。

 例えば【A】の事例を見てみると、救急車が本当にそこに着いたかどうかは、実際に私はこの目で見ていない。しかし私に与えられた情報からは、確かに救急車はすぐそこに停車していると「推測する」ことができる。

 「〜でない」ことを知ることによって、目で見ていない「〜である」ことを間接的に知ることができるのだ。

 一方、この方法には問題もある。例えば【B’】の事例のように、思い込み等によって情報の解釈が間違ってしまう場合がある。そうなると前提条件がそもそも成り立たないので、推測して導いた情報も見事に見当違いのものになってしまう。

 このように、ある情報を知ることによって逆にそうで無い情報が把握できるという考え方は、物の見方として非常に興味深い。実は、私たちは中学・高校の学校教育の中で似たような物の見方を学んでいる。数学で登場する「余事象(ある事象に対して、それが起こらない事象のこと)」という考え方が、それだ。

 普段と違った視点で物事を見るというのは、未知のことでは無い。私たちがこれまでの教育で学んできたものの中にも、実はそのヒントは多く隠されているのだ。

画・文 : 菅俊一

        
菅俊一
菅俊一(すげ・しゅんいち)
会社員/研究者/映像作家
1980年東京都生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科修了。在学中より人間の知覚能力に基づいた新しい表現の在り方を研究し、映像やグラフィックをはじめとした様々な分野に定着させる活動を行なっている。主な仕事に、NHK Eテレ「2355/0655」ID映像の企画制作、著書に「差分」(共著・美術出版社)など。2012年、D&AD Yellow Pencil受賞。http://syunichisuge.com/