#9 運転しながらでもだいじょうぶですよ

サワディーカップ、いしいです。

ある日、22時を過ぎた頃のことでした。
夕飯を屋台で食べた帰り道にこんなものを見かけました。

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お分かり頂けただろうか。
ATMコーナーの明かりに照らされて、白い服を着た女性の霊の姿が確認できます。口座からお金を下ろすことができずに無念の死を遂げた、死者の怨念とでも言うのだろうか。
それでは、近くに寄ってもう一度ご覧頂こう。

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遠くからこれを見かけたとき、一瞬我が目を疑いましたが、近づいてみるとなんてことない人物大のパネルです。日本では昨年公開された映画「貞子3D」がタイで劇場公開されるのに合わせて設置された広告でした。
見た目もさることながら更に不気味なのが、貞子パネルを見かけたのが、たまたま通りがかって写真を撮ったこの夜中の一度きりだということです。誰かに持ち去られたのか、はたまた自分で移動したのか分かりませんが、翌日にはいなくなっていました。貞子パネルは今、いったいどこにいるのでしょうか。
もしかすると、タクシーに乗って家に帰ったのかもしれませんね。

日本で生活していた頃は、タクシーなんて僕には高級すぎてなかなか利用できませんでした。しかし、バンコクではタクシーの初乗り運賃が35バーツ(100円くらい)と、日本に比べるとアホほど安いです。それに、東京ほど鉄道が張り巡らされておらず、どうしてもタクシーを利用しないと行かれないような場所もあるため、たまに利用することがあります。

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街中を走るタクシーの止め方は、日本と少しだけ異なります。日本では、学校の授業中に解答者として先生に指名されたいときのように、垂直に挙手のポーズをとりますが、バンコクでは肩より少し下あたりの位置で腕を横に伸ばして止めます。
助手席の前あたりに置かれた、文字の書いてあるランプが赤く点灯しているのが空車のしるしというのは日本と一緒です。

タクシーを止めたら、乗車する前にまず目的地を運転手に告げます。通常時は移動距離や時間をダッシュボード上に設置されたメーターがカウントして運賃が定まります。しかし、目的地までの道路状況や運転手の気分によってはメーターを使わずに割高な運賃を請求されたり、乗車拒否をされることもあります。どうしても急いでいるときや、ほかにタクシーが見つかりそうにもないときにはしぶしぶメーターをまわさないタクシーにも乗ることもありますが、普段はメーターを使用するものがみつかるまでしぶとく待ち続けます。
日本とは違い、タクシーのドアーは自動式ではないので、乗車時も降車時も自分で開けなくてはいけません。
一度に7人の大人をぎゅうぎゅう詰めに乗せてくれたこともあったのですが、タイは自動車の乗車定員数が法令で定められていないのでしょうか。

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タクシー会社ごとに厳しい決まりがないのか、車内の装飾は運転手によって様々です。たいていどの車にも共通して、おまもりやお札がバックミラーや天井などに付けられているのは仏教国ならでは。たまにカーナビや、ハイスペックなサウンドシステムを搭載している車に出くわすこともあります。
出発と同時に車載DVDプレーヤーのディスクを取り替えて、タイ語吹き替えの「ダイ・ハード5」を上映しだしたタクシーもありました。運転手もモニターを見つつ運転していて、カーアクションシーンで少し興奮ぎみになってスピードを上げだしたのには少しハラハラしました。

まだあまり多くないバンコクでのタクシー乗車経験の中で、一番驚いたのは運転しながらおしっこをしている運転手を見たことです。

それはビザの延長手続きをし終えた帰り、入国管理局のタクシー乗り場で乗車待ちの列に並んで乗ったタクシーでした。
僕がバンコクで一人でタクシーに乗るときは、たいてい助手席に座ります。けれど、そのときは少し疲れていたのもあり、運転手に話しかけられたりするのはめんどくさいなと思ったので、後部座席に座っていました。
運転手は発車時からやけにソワソワしていて、振り返りながら「今日、ビザの手続きしたの?」「今日これからどうするの?」などブロークンな英語で執拗に話しかけてきます。これはハズレを引いたなと思って適当に返事をしながらシートに深く体重をかけ、外の景色を眺めていました。

発車から10分経ったくらいのころ、ラジオの音に混じってジョボジョボ、ジョボジョボと液体が流れるような音が断続的に聞こえてくるようになりました。エアコンの排水か何かが漏れているのかなと見回してみたけれど、それらしいものはありません。垂れ流しになっているというよりは、容器に溜まっていって液体が跳ね返っているような音なので、ガソリンやオイルが漏れているわけでもなさそう。
ふと運転手に目をやると、ハンドル片手に何かを股間にあてがっていました。水が流れる音の発生源はどうやらそのあたりのようです。そして、気がつきました。この運転手、おしっこしてる。

写真を撮ろうとiPhoneのレンズを向けようとするも、チラチラとこっちを見て牽制してきます。うまく隠しているので、どうしても股間の決定的な部分は見えません。向かっている目的地まではまだだいぶ距離があり、しつこくレンズを向けて怒られるのもめんどくさいので、写真を撮るのは諦めました。
車内に反響していたおしっこ音がやむと、慣れた手つきで容器を股間から離し、社会の窓を閉めました。容器のフタを閉めて足下に置くと、ウェットティッシュで手を拭き、こちらを見てにこりと微笑みました。こころなしか、乗車時に比べると表情が明るくなったような気がします。
おしっこ後はそれまでとはうってかわって無口になり、運転に集中しています。きっとおしっこがしたくて仕方がなくて、気を紛らわす為に話しかけてきたのでしょう。街中で呼び止めたならまだしも、公共施設のタクシー乗り場で僕は乗車をしたのだから、そこでトイレに寄ってから客を乗せればよかったのに。きっと彼は人一倍仕事熱心で、一分一秒も無駄にしたくなかったのでしょう。ネトゲ廃人のなかには、モニターの前から離れる時間がもったいないあまり、用意した空のペットボトルに用を足す人もいるという都市伝説があるくらいですから、もしかしたらよっぽど運転好きで、ハンドルを握っていないと正気を保てない類いの人だったのかもしれません。

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渋滞にさしかかり車の流れが止まると、運転手はいきなり運転席側のドアーを開けました。そして先ほどのおしっこで満ちたプラスチック容器を取り出してフタを開け、その中身を中央分離帯の茂みにトポトポと流し始めました。中身を全て出し終えたら500mlペットボトルに入った水をおしっこ容器に注ぎ込み、フタを閉めて何度かシェイク。その水を外に捨てるというのを何度か繰り返して、おしっこ容器をシフトレバーそばの小物入れにしまいました。衛生面にもちゃんと気を使っているのだなと感心させられます。

目的地に到着し、小銭がなくて少し多めに運賃を渡すと「俺も小銭持ってないから、おつりなしでもいいよね」と運転手が言いました。これは、タクシー運転手の多くが小銭稼ぎのために言ってくる常套手段。おつりといっても数バーツ程度なのでチップを渡したことにして、そのまま降ります。この運転手に関しては、おしっこ容器の出し入れをするときに小銭をジャラジャラ持っているのを見かけたけれど、おしっこした手でおつりの受け渡しをしたくないなという僕の気持ちを察して言ってくれたのかもしれません。さすがプロです。

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タクシー内でおしっこをして、それを道ばたに捨てるのはこのとき以来見ていませんが、大通りの路肩に車の影に隠れておしっこをしている人はたまにいます。東京でも酔っぱらった人が夜中に電信柱や塀などにしてるところを見かけますが、バンコクでは夜に限らず昼間でも、見るからにシラフな人がしていることがあります。
いまは雨季で雨も多く、雨上がりには水たまりができているのをよく見ますが、その中にはおしっこでできた水たまりも紛れているかもしれませんね。

画・文 : いしいこうた

        
いしいこうた
いしいこうた
1988年生まれ。編集者。Webマガジンの編集などを経て2013年3月より意味もなくバンコクへ引っ越す。編著書に『GIF BOOK』(BNN新社)など。このサイトの管理も担当。