第1回:何故、文字をなぞるのか

 1年半くらい前からですかね、「#文字なぞり部」っていうハッシュタグの付いたツイートや画像が、twitterとかInstagramのタイムラインに流れてきまして。僕は最初このハッシュタグを見かけたとき、文字のトレースね、ふーん。という程度で傍観してました。まぁ文字だけに文字どおり「文字をなぞる」活動ってことなんでしょうけど、文字のトレースってさほど新しいものじゃないですしね。ちょっと前に書店でも「えんぴつでなぞる〇〇」みたいな本がけっこう出てた。ああいう類のものだろうと、たかをくくっていた。だけど現物を目の前にすると、そのトレースの見たこともない精密さに思わず惹かれました。実際に目の前にしたし、実際に見たんですが、それでもやっぱり見たこともないほどの信じられない精密さです。「文字なぞり」っていうのはここまでなぞれるものなのか! と。いったい「文字なぞり」の目的は何なのか。何に突き動かされてここまで「文字なぞり」をしているのか……。というわけで、突き動かされるがままに「文字なぞり」への思いを書き綴っているアカウントがこちらになります。

 古代漢字研究で知られる白川静さんという方がおられますが、実はこの方、相当な文字なぞり活動をしていたんですね。文字なぞりによって「白川文字学」を築き上げたといっても過言ではない。なぜって、彼は数万片に及ぶ甲骨文字や金文をトレースすることによって、その文字に秘められた宗教的・呪術的な背景を解読したと言われています。たとえば、「口」という字がありますね。僕らは「くち」と読んでいます。目や鼻なんかと一緒に顔にくっついてる「くち」。だけど「くち」と解釈したのでは、その時代の文章に「口」の字が入ってきた時にうまく意味が通らないのが出てきてしまった。じゃあ「くち」以外の違う意味があるんじゃないだろうかってんで、甲骨文字にトレーシングペーパーをかけてペンで何文字も何遍も丁寧になぞって微細な違いを読みとった結果、神への祝詞を収める箱という形を意味する「サイ」という文字を発見したそうです。白川文字学でもっとも重要な文字です。ここに至るまでに、どうして白川さんは文字をなぞることになったんでしょう。なぞって読みとった微細な違いっていうのはいったい何だったんでしょう。

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↑なぞり図版はクリックすると拡大表示します

 書において古典を学ぶ際に、それを手本として書くことを「臨書」といいます。たとえば文字の形を筆の動きから忠実に再現しようとする、簡単に言うと文字をお手本に似せて書くアレです。臨書の中にも分類があって「形臨」ってやつなんですが、お手本を横に置いて、それを見ながら筆を動かして書き写す。そういう実際に手を動かす学習法を「手習い」といいます。手で習うから手習い。
 それに対して作品観賞なんかは、「目習い」なんて言ったりします。手は動かさないけれども目で見て、その書を学ぶ、と。またある一方では、その作品の中に書かれている文字ひとつひとつの形、さらにいえば一点一画をじーっと見て、そのディテールがどう書かれたのか読み解こうとする、そんなミクロな視点も「目習い」と言えます。さっき話をした臨書で言うと、お手本の文字をまず見て筆がどう動いたのか目で追うところ、ここは「目習い」です。で、筆を実際に動かして書くところが「手習い」。なのでそういった順番でもって、しっかり見てからじゃないと、手は動かせないってことになりますね。かの高村光太郎は『伏波神祠詩巻』(これは黄庭堅っていう中国の古い有名な人の、有名な書ですけども)を毎朝、目習いしていたというし、書家、石川九楊さんは『雁塔聖教序』(これは褚遂良という、やっぱり中国の古い有名な人の、やっぱり有名な書)の法帖を持って毎晩、就寝前に一字をただずっと眺め続け、その一字の中のから溢れ出てくる形のディテールを飽きることなく読み耽っていたといいます。

 白川静さんに話を戻すと、その文字の一点一画をじっくりと観察して、その溢れ出てくる形のディテールから情報を読み取ろうとした。ここまでは「目習い」のパートです。で、その後どうするか。甲骨文とか金文は人間が手で彫ったり刻んだりしたものだから、じゃあ亀の甲羅を骨で彫ってみようかっていうね、「目習い」の後の「手習い」はそういう流れかもしれません。だけど白川さんはそうはならなかった。書家とか篆刻家じゃないから。そういう彫る技術の習得の方向に行っちゃうんでなしに、あくまでも文字の形が成り立つ様子を追体験して、それを記録する、というところに落ち着いたんだと思います。文字にトレーシングペーパーを載せ、先人達の手によって刻まれた文字の軌跡をなぞっていった、と。「目習い」の結果をトレーシングペーパーに「記録」したわけです。

 とはいえ実際は「目習い」の方法や解釈はひとりひとり違いますよね。細かいディテールのどこをなぞるかによっても全然変わってくる。「記録」の方法に関しても同様です。だからなぞった結果は人それぞれ違ったものになるでしょう。同じ本を読んでも読書感想文がひとりひとり違うように。ひとりの人間にしたって今日のなぞりと明日のなぞりは全く違うはずです。気分とか意識とか、あるいは身体的な状況とか、それだけでも違ってくる。で、仕上がったのがみんな違ってるのが実に興味深いわけで、なぞられる元となる文字のほとんどは誰かが書いてて、それは直筆でもフォントデータになってるものでも、その書いた時、作られた時の気分がおそらく反映されちゃってるわけです。結果、なぞる側となぞられる側とどっちも気分が反映されている。
 文字をなぞっていくうちに、白川さんは形だけじゃなくて、甲骨文字を彫った人の気分とか状況までをも読みとっていっちゃった。ペン先が、まるでレコード針のように元の文字から情報を拾って、トレーシングペーパー上に再生していった。そんなふうにしてなぞっていくうちに、いつのまにかテンポが合ってきて、古代の人と気分がシンクロした瞬間があったのかもしれない。そうすることで文字の形をつくりあげた背景、つまり甲骨文字は呪術に使われたわけなんですが、その際に神と対話するためのシンボルデザインとしての文字、その制作プロセスを、フィニッシュワークをなぞることで体感し、コンセプトを解読するに至ったんじゃないかと思います。だから、白川文字学は、甲骨文字をなぞることによって生まれた古代と白川さんのコラボレーションの記録といえます。

 ま、白川さんの文字なぞりはエクストリームすぎる例なので少し話を戻すと、「#文字なぞり部」のやってることは読書感想文、ってのが案外しっくり来るんじゃないかと思いました。読書っていうのはかならずしも書物、本てことではなくて、「書かれたものを読む」ってことだから、文字を読みとることも立派な読書です。で、その文字をどう思ったか、どう味わったかっていうのをトレペに書き記す。批評というよりは、読書してるって感じがいいですよね。うん、文字を読んでんだなぁっていうのが。僕らがなぞられた文字を見るとき、その丁寧になぞられた仕上げに注目しがちですが、そこに秘められたそんなとこまで読みとれたら面白いなぁなんて思うわけです。読みとろうとして思わずなぞり出したりなんかして。

なぞり:佐久間茜 / 文 : 塚田哲也

        
塚田哲也
塚田哲也
大日本タイポ組合ではデザインを通した新しい文字の使い方を探り、新世界タイポ研究会では実際ありえたかもしれない文字の形を探り、グッドデザイソ振興会ではデザイン関連ダジャレを探る。グラフィックデザイナー。電車で好きな部位は座席シートの柄。
佐久間茜
佐久間茜
文字なぞり部部長。文字なぞり歴6年くらい。さまざまな文字をなぞりまくる。デザイナー。箱で気になる部位は一括表示。http://mojinazoribu.tumblr.com/