ある時は大学で身体動作の研究者。ある時はバンド「かえる目」のボーカリスト。 またある時はえーとパノラマや立体視や絵はがきについてめちゃくちゃ詳しいおっさん! かえるさん=細馬宏通さんの待望の連載です!   ( 第1回から読む )

歌のしくみ 第8回「歌になる理由」

 こんにちは。細馬です。
 前回は、『愛しのクレメンタイン』という、ずいぶん古めかしい歌をとり上げました。同じメロディを何度も繰り返す、単純だけど楽しい歌。今回はそこから、もう少し時代を下って、二十世紀前半の歌がどんな風になったか、見てみましょうか。というわけで、とりあげるのは、ジュディ・ガーランドの『虹の彼方に』(1939年)です。これまた古い歌ですが、いまでもいろんな人がカバーしてるから、みんな知ってるでしょう?
 じゃ、知ってる人は出だしを歌ってみて下さい。さんはい。
「サームホェアー、オーバーザレインボウ」

 そう、普通はそう歌い始めますよね。どこか虹の向こう。歌えるように日本語に訳すと、続きはこんな具合です。

どこか 虹の向こう 高く
あの唄できいた国があるの
どこか 虹の向こう 青く
夢見てた夢かなう国へ

いつか 星に願って目覚めれば雲を見下ろす
悩みは 溶けるレモン・ドロップス
はるか下に えんとつ
ほらわたし ここだよ

どこか 虹の向こう 青い
鳥が越えてゆく
そうだわたしも

 素直な歌詞ですが、ここには視点の変化が埋め込まれています。最初の四行では、ここから「どこか」を夢を見ているのですが、次の四行、メロディが変わってことばがすばやくなるところでは、もうその「どこか」に心はたどりついています。雲は下にあるし、その向こうに煙突も見える。「悩みは溶けるレモン・ドロップス」っていうのが、いいですね。ものすごい上空へと移動したのに、悩みは口の中の小さなできごとで、それがレモンの味で飴玉のように溶けていく。夢がかなったことが、味でわかる。目も舌も夢をかなえた。
 かと思ったら、次の四行では、また「どこか」ということばが現れます。やっぱりこの身は地上にいて、夢の世界はここではない「どこか」なのです。そんな場所はどこかしら、そうだわたしも行くんだわ、と、歌い手は最初よりは少し、虹の彼方をこちらに引きつけています。

 あれ? この感じ、前にもありました。
 そう、このしくみは、まさに『お正月』の歌そのものではないですか。最初にお正月の夢がゆっくりメロディで歌われて、もういくつねるとお正月。そこからお正月のまっただ中に飛び込んでことばが速くなる、ああでもやっぱり蒲団の中だ、早くこいこいお正月。あれです。
 どうやら、夢見がちなことばが歌になり、それが実現するとことばが歩みを速める、という『お正月』メソッドは、万国共通のようです。

 さて、以前の連載のことを思い出したついでに、前回のことも思い出してみましょうか。『愛しのクレメンタイン』で見たように、古い歌には、歌う度に変化するヴァースと、繰り返すコーラスとを交互に繰り返す構造があったのでした。
 では、ここで問題。『虹の彼方に』のヴァースはどこで、コーラスはどこでしょう? 答えは30秒後に。

dorothy

(1900年『オズの魔法使い』初版本のW. W. デンスロウによるイラスト)

 さて、答えは意外や意外、実は「どこか虹の向こう」という歌い出しからお尻まで、すべてがコーラスなのです。実際、1939年に映画がラジオで宣伝されたときには、この部分をコーラス・グループがまるまる、繰り返し歌いました。上に挙げた部分は、全部がコーラスであり、リフレイン(繰り返し)だったというわけです。
 コーラスではあるのですが、『愛しのクレメンタイン』に比べると、ちょっと中身が複雑になってます。メロディが二つある。これをA,Bとしましょうか。歌詞はこんな具合に歌われています。

A:どこか 虹の向こう 高く
 あの唄できいた国があるの
A:どこか 虹の向こう 青く
 夢見てた夢かなう国へ

B:いつか 星に願って目覚めれば雲を見下ろす
 悩みは 溶けるレモン・ドロップス
 はるか下に えんとつ
 ほらわたし ここだよ

A:どこか 虹の向こう 青い
 鳥が越えてゆく そうだわたしも

 ABそれぞれが8小節、AABAの計32小節でひとつのコーラスになります。BはAに比べて言葉数が多いですが、それはさっきも書いたように、少し早く語るように歌ってるからです。これをAABA形式、なんて言います。

 あれ? じゃ、ヴァースはどこなのでしょうか。
 実は、映画『オズの魔法使い』では歌われていませんが、『虹の彼方に』には、サームホェアー、の前に、まとまった導入部分があります。ジュディ・ガーランドが、この導入部分を歌っている珍しい録音があるので、ちょっと聞いてみましょうか。

歌詞はこんな内容です。

世界は望みも消えてめちゃくちゃ
どこもかしこも雨でぐしゃぐしゃ
そのとき空に魔法のひとすじが開く
空に雲たちこめるとき
空の高くに虹が見つかる 
あなたの窓から続いてる
太陽の向こうへ行きたいなら
雨からひとあし踏み出してごらん

 この、長い導入部分が、実はヴァースなのです。最初に歌われるので、「イントロダクトリー・ヴァース」とか「オープニング・ヴァース」と言います。
 つまりわたしたちは、このオープニング・ヴァースで語られていること、語り手のいる世界の事情、虹を越えたくなる事情をすっとばし、いきなり「サームホェアー、オーバーザレインボウ」と本題に入ってコーラスしていたというわけです。
 実をいうと、オープニング・ヴァースとコーラスというしくみは、『虹の彼方に』だけのものではありません。オープニング・ヴァースのあとにコーラスをつけ、そのコーラス部分をAABA形式の32小節にする、というしくみは、20世紀に入って、「ティンパン・アレイ」と呼ばれる作曲家たちによって、特にミュージカル・ナンバーで盛んに用いられるようになりました。

 ティン・パン・アレイのことは、また別の機会にお話するとして、『虹の彼方に』のオープニング・ヴァース、実際のところ、必要なんでしょうか? ジュディ・ガーランドは先のラジオ番組以外では、オープニング・ヴァースを歌うことはほとんどなかったようです。
 正直なところわたしは(もしかしたら、あなたも)「サームホェアー」で始まる『虹の彼方に』にすっかり慣れているので、オープニング・ヴァースはちょっとくだくだしく感じることがあります。わけのわからないことばで待たされているようで、なんだかありがたみを感じにくい。だいいち英語だしね。

 でも、ミュージカルを身近に感じている人たちは、どうでしょう。
 YouTubeをoz+high schoolで検索していくと、おもしろいことに、アメリカのハイスクールで『オズと魔法使い』のミュージカル版をやっている人たちの映像がいくつも見つかります。ハイスクールとはいえ達者な人が多いのに驚かされます。日本では合唱コンクールは盛んだけれど、高校でミュージカル、というのは、それほどではないんじゃないかしら。
 たとえばレイクウッド・ハイスクールで演じられた一場面を見てみましょうか。

 ね? 英語はわからなくても、ミュージカルの一場面にすると、オープニング・ヴァースがちっともくだくだしくなくて、むしろコーラスに向けてゆっくりと感情を動かして歌われてるのがわかるでしょう? ミュージカルの中で台詞を語っていた人が歌い出すには、語りが歌になる理由があり、情動が揺らされて歌へと高まっていく時間がある。その理由が歌われる時間が、オープニング・ヴァースなのです。

 実は、映画『オズの魔法使い』のなかのジュディ・ガーランドも、オープニング・ヴァースこそ歌わないものの、何の前触れもなくいきなり歌い出しているわけではありません。

 『虹の彼方に』が歌われるのは、まだドロシーがオズのいる世界にいく前、殺風景なカンザスの田舎で、ドロシーはいじわるな近所のガルチさんから犬のトトのことであれこれ言われて悩んでいます。でも、忙しく働くおじさんやおばさんはまるで相手にしてくれない。「今日はもう話は聞いてあげられないわ、悩みに巻き込まれない場所を探しなさい!」と言われたドロシーは、犬のトトに向かってこんな風につぶやきます。

「悩みに巻き込まれない場所。そんな場所ってあるかしら、トト? あるはずよ。そこは、ボートでも行けない、汽車でも行けない。遠く遠くよ。」遠く遠く、ということばに応えるように、オーケストラは、にわかにさざめき始めます。「月の向こう、雨の向こう」ドロシーのことばがその場所を言い当てる頃には、もうオーケストラは歌を受け入れ始めていて、ドロシーのことばはメロディになります。「どこか虹の向こう…」

 ドロシーがトトに向かってつぶやくこの台詞が、歌に向かって情動を揺らしている。それはオープニング・ヴァースのように、少しずつ、歌に向かう情動を用意しているのです。でも、あくまで台詞ですから、オープニング・ヴァースほどに高まってはいない。
 ここで歌に移るとき、、ジュディ・ガーランドは舞台のようにあまり声を張り上げるのではなく、マイクに向けて歌うときの「クルーナー唱法」を使っており、歌のクライマックスでは逆に声を少し引き気味にさえしています。そこがまた、この『虹の彼方に』の夢のささやかさを表しているようで、きく者をせつなくさせます。七色の虹のことを歌っていながら、画面が色を欠いたセピア調であることも、このささやかな歌い方に沿っている。
 気がつくと、ドロシーは歌の中でもう夢に見た雲の上にいるのですが、映画はその空想場面を描くかわりに、一本のクラリネットをマイクに近づけて、ジュディの歌声に寄り添わせています。

 こんな風に、ミュージカルの舞台や映画では、歌は長い物語の一部であり、語りが歌になる理由、そしてその理由を語る方法がある。それが、オープニング・ヴァースや語りという形をとる。『虹の彼方に』は、そのように物語に埋め込まれた歌であり、わたしたちがしばしば耳にする『虹の彼方に』は、そうした物語から取り出された、コーラスなのです。
 そして、これは『虹の彼方に』に限った話ではなく、いわゆる「スタンダード・ナンバー」のほとんどに言える問題なのですが…話が長くなりそうなので、続きはまたの機会に。

***

 そうそう、『虹の彼方に』の最後の部分のことを書くのを忘れていました。
 実は上には書かなかったのですが、この歌には、ヴァースとコーラスだけでなく、最後に短い「コーダ」(アウトロ)がくっついています。おもしろいことに、歌詞はAの部分から、旋律は、Bの部分から借りられています。

コーダ:
 青い鳥が虹を越えてゆく
 そうだわたしも

 いつのまにか、かなえた夢で鳴っていたクラリネットが寄り添っている。ジュディ・ガーランドは、夢見ることばを、かなえた夢のメロディで歌いながら、歌を閉じていくのです。

ロゴ:平松るい / 文 : 細馬宏通

        
細馬宏通
細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年生まれ。現在、滋賀県立大学人間文化学部教授。 専門は日常会話の身体動作研究とメディア史。介護、手話会話、演劇、ゲームなどさまざまな場面で人の動作について考える一方で、明治期以降の塔や絵はがきの果たした役割について論考しています。著書に『浅草十二階』『絵はがきの時代』(青土社)。バンド「かえる目」では、ボーカルと作詞・作曲担当。 ブログ:http://12kai.com/wp/ かえる目:http://12kai.com/kaerumoku/

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