ある時は大学で身体動作の研究者。ある時はバンド「かえる目」のボーカリスト。 またある時はえーとパノラマや立体視や絵はがきについてめちゃくちゃ詳しいおっさん! かえるさん=細馬宏通さんの待望の連載です!

歌のしくみ 第1回「サンバがサンバであるからには」

 こんにちは。細馬といいます。
 人の動作のことを考えたり、歌をつくってたりしています。

 動作のことを考えるときも歌のことを考えるときも、そのしくみのことが気になっています。動作や歌は、機械とは違って、空間の中に最初からすべてがどんとあるわけではない。時間の中にさっと現れて、ふくらみ、しぼみ、形を変えていきます。わたしたちは、動作や歌があたかも空間の中に線や面や立体を掃いていくように感じます。が、それは、わたしたちが、少し前の時間にあったことを覚えていたり、いまある形から次の形を予想することで、消えてしまったこと、まだ現れていないことを、まるであるかのように感じているからです。

 たとえば、歌詞カードを見ながら歌をききます。歌詞カードには1番から3番まで、AメロBメロからサビまで、歌われることばがすべて文字にしてあります。歌詞カードには、これまで歌われてきたことば、これから歌われることばが順序よく並んでいて、だから、ほんとうは歌は時間の上のできことなのに、まるで目の前に料理をずらりと広げてそれを端から食べるように、歌詞を追っていくことになります。

 実は歌詞カードに書かれた文字の空間と歌の時間とは、似ても似つかぬものです。歌の時間について考えるときは、わたしたちの癖、時間の中で現れ消えていくものを、あたかも空間の中にある一部分であるかのように考える癖をときどき止めてみるといい。でも、癖というものには、意識が届きにくい。注意しているようでも、気がつくと、時間を空間で考えてしまう。だから、歌の時間を考えるには、いつも考える道とは少し違った道をたどる必要があります。
 どんな道か。実はわたしにも、よくはわかっていません。少なくとも、あらかじめこれとわかるような道ではないことは確かです。あらかじめわかっている道とは、空間として与えられた道です。時間のことを、時間を過ごすように考える。そういうことを、これから何回かにわたって試行錯誤してみようと思います。
 とりあえず毎回一つの曲をきく、というルールだけ決めておきます。これはどこかに行き着くためのルールというよりは、歩き出す方向を決めるための、コイントスのようなものです。

「サンバがサンバであるからには」

 さて今回は、ボサノヴァです。ボサノヴァは、歌詞カードの空間からわたしたちを歌の時間へと連れ出してくれます。どんな風にか。ジョアン・ジルベルトの『声とギター』というアルバムから、一曲め「サンバがサンバであるからには Desde que o samba é samba」をかけてみましょう。作詞作曲はカエターノ・ヴェローゾ。では、どうぞ。

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 …はい。すばらしかったですね。

 ジョアンの歌をいくつかきいていると、ある簡単なことに気づきます。それは、この曲も含めて、ジョアン・ジルベルトの歌う曲には、一番二番という考え方がない、ということです。一続きの歌詞が終わると、また同じ歌詞を最初から繰り返す。いや、もっと言えば、ジョアンの歌に限らず、ボサノヴァの、そしてサンバの曲のほとんどが、そうなのです。日本の歌謡曲やJ-POPのような、一番、二番と歌詞を変えて歌いサビの部分は同じ歌詞、といった考え方は、ボサノヴァではむしろ珍しいことです。

 ボサノヴァには、一番、二番がない。そして「サビ」のような特定の場所だけで歌詞を繰り返すかわりに、まるごと一つの歌を繰り返す。ボサノヴァをよくご存じの方にとっては、あまりにも当たり前のことかもしれませんが、わたしはこの違いに、ひどく驚きました。

 同じ歌詞を繰り返すボサノヴァ、そしてそのルーツであるサンバには、一番二番と進む歌とは異なる、独特の身体感覚があります。繰り返すうちに、不思議なことに、少しずつ、体が軽くなってくる。地面に着いている足がほんの少し浮きたつような高揚感が湧いてくる。

samba power

 ジョアン・ジルベルトの名歌唱に「もう家には帰らない NÃO VOU PRA CASA」という曲があるのですが、これなどは短い歌詞を三度、四度と繰り返します。ぼくの得意はサンバだ、サンバに育てられたんだ、サンバで恋に出会ったらもう家には戻らない、戻るわけない、と何度もジョアンは歌う。歌ううちに、まさしくサンバが声とギターに取り憑いて、きいている側もだんだんと、そうだもう今日は帰らない、家なんか戻るもんかと思えてくる。

 今回採り上げる「サンバがサンバであるからには」もご多分に漏れず、同じ歌を二度三度と繰り返します。そしてこの曲のおもしろいところは、感情の起伏が入っているところです。ちょっと内容を見てみましょうか。日本語に訳してみると、おおよそ、こんな歌詞です。

「サンバがサンバであるからには」

かなしみが主(あるじ)
だってサンバはサンバでしょう
涙はきらめく肌のくらがりだ
夜だ 雨をきく 落ちながら
ひとりだ すべてを
こわしたくなる おぞましいとき
でもなにかがおこるよきっと
ほかでもないわたしに
さあうたえ かなしみを払うよ
おお サンバが生まれる
おお サンバはこれから
おお サンバは不死身で
ほら 陽はまだのぼっちゃいない
おお サンバからよろこびが
おお サンバは痛みから
おお なんてめくるめくうつろいだ

(訳:細馬)

 さて、こうやって歌詞カードみたいに歌詞を横書きで上から下に表示すると、まるで歌には頭とお尻があって、一直線に流れていくみたいに見えるでしょう? でも、歌の時間は、そうなっていない。
 どうなっているかといえば、「おお なんてめくるめくうつろいだ」とお尻(に見える箇所)を歌ってから、ジョアンは「かなしみがあるじ」と頭(に見える箇所)の歌詞を続けます。間奏はありません。まるで歌の続きのように、かなしみがまたやってくるのです。
 そのことで、この曲には不思議なうねりができます。かなしみが主となる。歌は、夜であることを歌い、ひとりであることを歌い、その恐ろしさを歌う。けれど、途中からちょっと様子が変わってくる。もう歌っているのに「うたえ」と言い出す。歌が歌を改める。歌は、はじまりでは主だったかなしみを払う。そしてサンバが生まれ出す。サンバは不死身だ、日が昇るのはこれからだ。そしてこのまま調子をあげていくのかと思ったら、おや、サンバはそれほど単細胞ではないらしい。サンバはよろこびの父、しかしサンバは痛みの息子。そしてかなしみが主となる。歌は夜に向かう。

 歌は、このような感情の円環をずっと歌っている。だから、一番二番と歌詞を改める必要がない。単調? いや、それどころか、はじめと終わりがつながれた円環の時間は、たとえば静かに唄い始めて激情で終わるそれこそ単調で一直線の時間とは、全く違う流れ方をします。歌は何度でも改まり、サンバは何度でも生まれ直す。それでもかなしみはまたやってきて、だからまた歌を改める。

 そしてギターは、この円環のエンジンです。ジョアンのギターの弾き方は、親指がベースを鳴らしながら四つを刻んでいき、他の指がそこにコードを添えながらサンバのリズムを出していくというスタイル。それが途中までは一定のリズムで進んでいくのですが、途中でするするっとコード色の変化が速くなります。「でもなにかが…」というところ、そして最後の「おお なんてめくるめく…」というところ。ちょうど歌の感情が変わり「変化 (トランスフォールマード)」ということばが歌われるところで、コードもトランスフォールマードするのです。

 速弾きではない。でも、まるでピッチャーのモーションをランナーが盗むように、きき手がまだある感情にとらわれていくときに、その感情からするすると抜け出していく。きき手はその一足早く抜け出たギターの進行に惹かれるように、別の感情へと連れ出される。かくして、サンバが生まれる高揚にひたっていたきき手は、いつの間にかトランスフォールマードして、また「かなしみという主」へと降りていくのです。

 声とギターにいざなわれて、円環する歌詞が表れては消え、まるで季節のように感情はめくるめく変転していく。大島弓子のことばを借りるなら「なんとすごい なんとすごい季節でしょう」(『綿の国星』)。

smab circle

 ここまでジョアン・ジルベルトの歌の話をしてきましたが、原作者のカエターノ・ヴェローゾもこの「サンバがサンバであるからには」をうたっています。カエターノがライブで歌っている映像があるのですが、そこでカエターノは、歌が一周してまたはじまりの歌詞になったとき、ちょっと観客を誘うように「かなしみ、が、あるじ」と歌の文句を切るのです。ほらほら、きみたちの好きなあの文句に戻ってきたよ、とでも言うように。そして観客もカエターノに唱和します。この、戻ってくる感じ、円環を言祝ぐ感じが、サンバなんだな。サビを唱和する歌の文化とはずいぶん違いますね。そういうことも、歌詞カードという空間から抜け出して、はじめてわかります。

 さて、ずいぶん歩きました。このあたりで今日は終わり。
 次は何の歌をききましょう?

ロゴ:平松るい / 図・文 : 細馬宏通

        
細馬宏通
細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年生まれ。現在、滋賀県立大学人間文化学部教授。 専門は日常会話の身体動作研究とメディア史。介護、手話会話、演劇、ゲームなどさまざまな場面で人の動作について考える一方で、明治期以降の塔や絵はがきの果たした役割について論考しています。著書に『浅草十二階』『絵はがきの時代』(青土社)。バンド「かえる目」では、ボーカルと作詞・作曲担当。 ブログ:http://12kai.com/wp/ かえる目:http://12kai.com/kaerumoku/

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