古来から「メメント・モリ(死を思え)」と言うように、人は生まれた瞬間から死に向かって生き続けます。生きるために死ぬのか、死ぬために生きるのか? 気になるあの人に死生観を聞いてきました。   ( 第1回から読む )

「何歳まで生きますか?」石井光太さんに聞く【後編】

今回登場していただくのは、ノンフィクション作家の石井光太さん。貧困、医療、遺体安置所など、「死が隣り合わせの現場」をいくつも経験してきた石井さんだけに、きっと何かしらの「死に対する特別な思い」があるのだろうと思って話を聞いたのですが……。

石井光太さん

「人生は自分でコントロールできる」というのは錯覚

──「仮定の話を考えても仕方ない」と最初におっしゃっていましたが、今まで事故や病気などで実際に「もう死ぬかも」っていう状況に追い込まれたことはありますか?

石井 事故や怪我はないですけど、口の中に銃を突っ込まれたりとか、そういうのはありますね。「殺されかけた」というほうが近い(笑)。

── ……! その瞬間、脳裏によぎったのは何ですか?

石井 まあ、何もよぎらないですよ。人間って、銃を向けられると体が動かなくなるんですよ。思考が停止する。だから、よく戦争なんかで銃殺刑にされるとき、銃を突きつけられた死刑囚を見て「何で逃げないの?」って思うじゃないですか。「どうせ殺されるなら一か八か逃げたほうがいいのに」って思いますよね。だけど銃って、構えられると動かなくなるんですよ。不思議なことに。(銃口を向けられるジェスチャーで)こうやられた瞬間に、もうすべてが止まるんですよ。だから、その瞬間は何も考えてない。終わったあとは考えるけど。

──命乞いする余裕すらない。

石井 全然ないです、はい。だから津波に飲まれて生き残った人たちも、みんなそう言ってますよね。波に飲み込まれて「来た!ああもう駄目なんだ……」って思ってただけで。圧倒的に死が迫ってきたときって、そうなんですよ。人間ってやっぱりそこに適合できなくなるんですよね。それを逆に受け入れてしまう瞬間っていうのがどこかにある。あれは不思議ですよね。

──銃を突き付けられた瞬間は、思考が停止していたとはいえ「死を半分受け入れた」みたいなところはありましたか?

石井 うーん……そうですね。もちろん死ぬのは嫌ですよ。だけど思考が停止するんです。よく「事故に会った瞬間、スローモーションになる」って言うじゃないですか。車にはねられてポーンと飛んでる瞬間とか。たぶん、ああいう感じなんだと思う。つまり、もう自分の運命が自分で何とかできる範囲を超えちゃうんです。人間が操作しようと思っても操作できない瞬間っていうのがあるんですよ。それは事故で吹っ飛ばされてる瞬間だけじゃなくて、たぶん災害もそうだと思いますね。だから津波でたまたま生き残った人に話を聞くと、流されたときのことを第三者的に普通に覚えてますよ。

──災害とか銃を向けられるというのは特殊な状況ですが、ご自身の人生を考えたときに、「人生は自分でコントロールできるものだ」と思っていますか? それとも「コントロールしたいと思っても、どうにもならない」という感覚のほうが強い?

石井 上手くいってるときは、自分がコントロールしてると思ってますよ。だけど、本当はそうじゃないですよね。やっぱり生っていうのは濁流みたいなもので、人間はそこで流されているに過ぎないと僕は思います。それは、今まで取材してきた人たちの話を聞いていてもそう思いますね。津波のことで印象的なことがあるんですけど、ある人が流されて、屋根の上で三人生き残ったんですよ。だけどそのまま流されて、最終的にはそこにあった渦に飲まれて死んじゃうんです。その瞬間の写真を、生き残った人が撮ってるんですよ。屋根の上に三人の男が立っていて、じーっとこっちを見ている。その向こうには渦がある。その写真を見たときに、これはやっぱり人間の運命というか、人間が生きるっていうことなのかな、と思って。結局人生ってそういう(自分ではコントロールできない)ものなんですよ。

──その三人の表情っていうのは、もう自分たちが渦に飲み込まれることを半ば受け入れているような……?

石井 それがまた複雑な表情でね。なんだろうね、あの表情。怖がってるわけでもないし、希望を持っていそうにも見えるし……分からない。

──急に来るものに対してはもう瞬間的に受け入れるしかないですけど、「渦に巻き込まれる」というのはそこに至るまで何十秒かの余裕があるわけで、やはりいろいろ思ったりするんでしょうかね。

石井 それは本人じゃないから分からないけど……でも、人間っていうのは脆いですよ。本当に一瞬で崩れますよ。太陽が止まった瞬間、みんな冷えて死ぬじゃないですか。あるいは太陽が爆発したら、みんな焼け死にますよね。そういう土台の中で人間は生きてるわけだから、脆いですよね。その視点で考えると、人間が恣意的に動かしているものなんてない。あったとしても、むちゃくちゃ小さなことですよ。でも、上手くいってるときっていうのは、その小さなものがすごく大きなものに感じるんです。例えば、僕のやってる仕事がものすごく大きなものに感じられたとする。だけどそうじゃない。そんなもの、ものすごくちっぽけなものですよ。それよりも運命の大きさのほうが明らかに大きい。その運命の大きさの大本(おおもと)に、「死」というものがあるんでしょうね。

石井光太さん

選択肢として学習される自殺

──死がいつやってくるのかは当然わからないことですけど、死そのものに対する恐怖はありますか?

石井 まあ、抵抗してもどうしようもないからね。

──あまり考えたことがない?

石井 いや、もちろん子どものときは考えましたよ。「怖いな」と思ったりしてましたし。だけど、どうしようもないですからね。それに対して意味付けをしようと思ったら、たしかに「怖い」とか「嫌だ」とかって言葉は思いつくのかもしれないけど、でも少なくとも俺は今生きているわけですよ。で、生きている俺が、さっき言ったいろんな濁流の中で、運命に流されてるかもしれないけど、その中でやれることっていうのがあるわけですよ。それを必死にやるしかないわけであって。濁流に飲み込まれていく中で、「ああ、飲まれる!飲まれる!飲まれる!飲まれる!飲まれる!飲まれる!とうとう飲まれた!」って、飲まれることしか考えないで死んでいくのか、あるいは飲まれる瞬間まで、どれだけ笑うか、どれだけ自分のやり方を見つけるかっていう、それだけの話。どっちかいいかって言ったら、僕は後者を取りますね。そっちのほうが圧倒的にいいと思うんです。

──理屈では僕もそう思ってるところがあるんですけど、さっきおっしゃった「現場の自分」と「上のほうにいる自分」で言うと、「上にいる自分」はそういうことを思っているのに、「現場の自分」がつい瞬間的な感情に引きずられてしまう、というところがあるんですね。まあそれは単純に「弱さ」と言ってしまえばそれまでなんですけど。なかなか石井さんのような割り切りができないところがあります。

石井 僕の場合は、いろんな現場を見てきたから「そういうことを考えてもしょうがない」って思うようになったんじゃないですかね。

──たしかに経験は大きいですよね。

石井 何十体、何百体の死体が次々運ばれてくるのを見たりすると、そうなりますよね。どっちが良いか悪いかは分からないですよ。……そうならないほうがまともじゃないか、とも思いますけど。

──あれだけいろいろな経験をして、いろいろな本を出していると、けっこう人生相談みたいなものを受けてしまうことってあるんじゃないですか?

石井 僕、あんまり人から持ちかけられた人生相談に耳を貸さなそうじゃないですか(笑)。「なに馬鹿なこと言ってんだ!アホ!」とか言って終わり、みたいな感じがしません?

──しますね(笑)。

石井 だからなのかもしれませんが、死について相談を受けることはないですね。むしろ、「これをやりたいから、どうすればいいか」みたいなポジティブな相談のほうを受ける。
 ちなみに、死の相談ということだと、自殺相談を思い浮かべますけど……もしかして、自殺する人っていうのは、死について語る人がまわりに多いんじゃないですか? 勝手な仮定ですけど。自殺って、選択肢の一つになっちゃうと思うんですね。

──自殺のことを語ったり考えたりすることによって、ですか?

石井 例えば、何かをやるとき、いろんな選択肢が人間にはあるじゃないですか。追い詰められたときに、何とかやり遂げるか、やめちゃうか、愚痴を言うか、泣くか、怒るか……いろいろあるわけです。そのときに、まわりで自殺している人間がいたら「死ぬか」っていう選択肢が生まれちゃう気がするんですよ。つまり、一つのケースとしてそれがあることを知ってるわけじゃないですか。だからこそ、その人にとって死が一つの選択肢になってしまう部分っていうのはあるんじゃないですかね。
 あるいは以前、血友病患者でエイズになった人たちを取材したとき、「俺は自殺の手段は首を切ることしか思いつかない」って言われたんですよ。「自分の首を包丁で切って死のう」なんて、普通そんなこと思いつきます? せめて飛び降りとか首吊りじゃないですか。で、聞いてみたら、実際にそうやって自殺した人がいるわけですよ。血友病患者でエイズになった人で。「なんでそういう方法になるのか」って聞いたら、彼らは血友病だから、「血が止まらなくて死ぬ」っていうイメージを小さい頃から持っているんですよ。だから「死ぬときに血が流れない」というのは、彼らの中では想像つかないわけです。で、一番血が流れて死ぬのって、その方法じゃないですか。だからそうなるんですよ。その話を聞いたとき、「自殺」という選択肢もそうだけど、「自殺の方法」っていうのも、もしかしたら一つのイメージ、選択肢になってくるのかな、と思いましたね。

──自殺とは文化的に学習されるものである、と。

石井 それが文化なのかどうか分らないですけども、何かの影響はあるんでしょうね。

──本人としては自殺をする気がなくても、「選択肢」として入ってしまった時点で、ちょっと引きずられ始めている、ということになるんですかね。

石井 そうなんですかね。だから僕も、「死ぬことなんて全然考えてないですよ」とか言いながら、「立て続けに両親が自殺した」なんてことになったら、また考えが変わてしまうかもしれない。人間って、そうやってコロコロ変わるもんですから。死生観みたいなものも含めて。

『地獄のあばれもの』に感じる、生のエネルギー

──人の生き死にを扱ったような本を読んで影響を受けたことはありましたか?

石井 影響っていうほどじゃないですけど、昔読んだ遠藤周作のエッセイ(『死について考える』)に、「死っていうのは冷たい海に入るようなもので、入った瞬間は冷たいけど、あとはスーッと馴染んでいくものなんじゃないか」みたいなことが書いてあって、小学校か中学校くらいの時にそれ読んで妙に納得した記憶はありますね。……あ、あと僕が大好きだった本に『地獄のあばれもの』っていう話があったんですよ。日本昔話なんですけども。悪い三人が死んで、地獄に落とされるんだけど、あの手この手で地獄を切り抜けるわけ。で、今度は見かねた閻魔様に飲み込まれるんだけど、お腹の中で三人が歌ったり踊ったりして、閻魔様に迷惑をかけちゃうの。それで最後は閻魔様が怒って「お前らなんかもう世の中に帰れ!」って地上に戻されてしまう、っていう話なんですね。それがもう大好きでね。俺にとっての「死の物語」っていうのは、たぶんそれが一番影響の強いものだと思います。

──閻魔様でも敵わないくらいの人間のエネルギーに惹かれた、みたいな感じ?

石井 「生の力」って言うんですかね。でもそれは比喩じゃなくて、そこに何かあるような気がするんだよね。そう思いたいだけなのかもしれないけど。でもこの宇宙の中で、地球が生命でいること自体がそうじゃないですか。目の前で太陽が燃えてて、地球は何回も惑星がぶつかって作られて、その中から人間というものは出てきたわけでしょ。その力強さっていうのはものすごいと思う。たしかに一瞬で消えていくけど、人間一個体じゃなくて、その生命の連鎖っていうのはものすごい。あえて比喩的に言うなら、そこにつながるんですよね。だからこそ僕自身が、(死ではなく)生命のところに興味があるのかもしれないですね。

石井光太(いしい・こうた)

ノンフィクション作家。2005年、アジアで物乞いをする障害者たちを追ったルポルタージュ『物乞う仏陀』(文藝春秋)でデビュー、同年の開高健ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞にノミネートされる。最貧困の現場で生きる子どもたちを見つめた『ルポ 餓死現場で生きる』(ちくま新書)や、東日本大震災後の遺体安置所をめぐる人間模様を描いた『遺体』など、人間の生と死に関わる著作を多く発表している。最新作は『戦場の都市伝説』(幻冬舎新書)。

前田隆弘(まえだ・たかひろ)

広域指定編集業。福岡県出身。ふだんは「TV Bros.」などで書いてます。はじめて死を意識したのは、小学生の時に見たドリフ映画の「いかりや長介が生きたまま火葬される」というシーン。喪失感よりもビジュアルから入ったクチ。

写真:ただ(ゆかい) / 文 : 前田隆弘

        
前田隆弘
前田隆弘
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