古来から「メメント・モリ(死を思え)」と言うように、人は生まれた瞬間から死に向かって生き続けます。生きるために死ぬのか、死ぬために生きるのか? 気になるあの人に死生観を聞いてきました。   ( 第1回から読む )

「何歳まで生きますか?」phaさんに聞く【後編】

「だるい」とか「めんどくさい」とかいう気持ちはもっと大切にされてもいいと思います。
悩んでる人はもっと適当に生きましょう。
どうせ人生に意味なんてないんだし。

(pha『ニートの歩き方』より)

死生観インタビュー、今回のお相手は日本一有名なニート・phaさん。ニートということを抜きにしても、「競争原理に価値を置かない、新しい世代の生活観」みたいなところで注目されているphaさんですが、果たしてどんな死生観を持っているのでしょうか。そのルーツと思われる京都時代の話も含めて語っていただきました。

phaさん

死体写真を見て生きてる実感を得ていた

──生き方、というほど大げさでなくてもいいんですけど、影響を受けた人はいますか?

pha どうですかね……そういえば中島らもさんが好きです。ダメそうな人はだいたい中島らもが好きですけどね(笑)。いろんなことを知ってて、世の中のダメなものとかうさんくさいものとかをいろいろ紹介してくれるところが好きでした。

──じゃあ、らもさんが死んだ時は……。

pha うーん、そんなに悲しくなかったかな。ショックは受けたけどあまりリアリティがなかったというか。書くものも一通り書いてしまってる感じがあったし、らもさんっぽい死に方やったし。「酔っ払って階段から落ちる」っていう。別にらもさんが実際に生きているか死んでいるかは、あんまり変わらないと思うんですよね、本の読者という立場では。わりと二十歳前後は、らもさんとか青山(正明)さんとか好きで、そういうサブカルっぽいもの読んでましたね。『完全自殺マニュアル』とか。

──今の感じからすると意外ですけど、そういうの通ってるんですね。

pha 昔はそういう死に関するものが好きだったんですよね。山田風太郎さんの『人間臨終図巻』っていう本をよく読んでたんです。人の死に様だけを年齢順に並べたものなんですけど、一時期はしょっちゅう自分と同じ年齢の項目のところを見てましたね。

──なんでそのページばかり?

pha「ああ、もう俺と同い年でこの人は死んでるんだ」っていうのを見たら、なんかちょっと生きる元気が湧いてくる、みたいな(笑)。「ああ、俺は生きてるし頑張らなきゃもったいない」っていう。『人間臨終図鑑』が好きだったので、それのウェブサービス版を作ってみたくて「訃報ドットコム」っていうウェブサービスを作ったりもしました。訃報ばかり集めるサイトなんですけど。あと、Twitterで訃報命日をひたすらポストするbotを作ったり。あと、青山さんが編集した本に死体写真が載ってたりして、見るのが好きでしたね。死体写真を見ると、「ああ、この人は死んでるけど俺は生きてる」みたいな実感を感じるというか。

──死体写真に生きる力をもらった(笑)。

pha 二十歳前後の頃は、自分が死ぬなんて実感がわかないから、ついダラダラしてしまうんだけど、そういうエグいのを見て「せっかく僕は生きてるんだから、生きてるうちに色々やらなきゃ」って気合を入れてたんですよ。

──今もそういう感覚は残ってますか?

pha いや、今は見なくなったんですよね。わざわざ気合入れなくてもよくなったというか(笑)。

──死に対する感覚が変わってきた、ってことですかね。

pha わりと死を受け入れてきているのかもしれないですね。昔は死がなんだかよくわからないから、あえて死を直視して思い出して頑張るみたいな感じだったけど、今は「いつ死んでも仕方ないや」っていう感じになってしまったかもしれない。『人間臨終図巻』を読んでも、「僕より若く死んだ人がすごい業績を残してるけど、まあそんなもんだよね」って、別にそんなに焦らなくなったというか。

──その変化が表れた時期は、さっきの「一通りのことはやってしまったな」と感じ始めた時期なんですかね。30過ぎあたりの。

pha そうですね。「一通りやりたいことやっちゃった」っていうのと、「自分のいろいろな限界とか能力とかが分かっちゃった」みたいなのがあって。「生きててもこんな感じでずっと生きてくんだろうな」っていう想像がついたりとか。

──「自分がこれからこんな感じで生きていくんだろうな」っていうのは、「楽になれる」っていうことなんですか? それとも「先まで見えちゃうことが怖い」っていうこと?

pha「淡々と同じようなのが続いていく」っていうイメージなんですけどね。すごい事件とか事故とかに遭って死にかけたりしたら、また変わるかもしれませんが。今はわりと健康だし、フラフラしてるし、ぬるま湯の中で生きてるからそういう感じになるのかも……こんな話を聞かせて、読む人がイラッとしないか不安ですが。

ギークハウスと熊野寮

──ギークハウスはどうなっていくんですかね。住人がそのまんまずーっといて、老人だらけになったりする可能性もあるっていうことですかね。

pha いや、ギークハウスの住人は入れ替わっていくもので、基本的には若い人のものだと思いますね。今ギークハウスにいる人も、ずっとそこに住んでいくわけじゃなくて、若いうちの何年かだけ共同生活をして、やがて卒業していく、という感じじゃないですかね。

──そういうルールになっている?

pha いや、ルールは別にないですけど、たぶんそうなっていくんだろうな、っていう。5年も10年もシェアハウスにずっと住み続けたいっていうのは、一部の変人だけ……まあ僕がそうなんですけど。だいたいの人は入れ替わっていくんじゃないかなあ。

──ということは、住人がそのまま一緒に年を取っていくという可能性もあるにはあるんですよね。

pha 実際は1年とか2年くらいで一人暮らしを始めたり恋人と暮らし始めたりして引っ越していく人も多いし、ギークハウス自体まだ始めて4年くらいのものなので、先がどうなるかはよくわからないですけどね。基本的にギークハウスは僕自身の居場所作りなので、僕が居心地良ければそれでいいし、将来的に自分と趣味が合う同年代のおっさんばかりになったとしても、それはそれでいいかなあ、と。

──学生寮と似てるけど、ちょっと違うところがあるんでしょうね。

pha 学生寮が理想なんですけどね。寮は学校のお金で運営されてるから安く住めたんですけど、東京でああいうのをやると、家賃が高いので本当にダメな人が住めない(笑)。僕の住んでた寮は、月の家賃が光熱寮込みで4,000円くらいだったので、何日かバイトするだけで生活できたから、お金のないダメな学生のたまり場になってたんですよね。

──「本当にダメな人」って、そんなにたくさんいたんですか?

pha いましたね。留年率は7〜8割だったと思うし(笑)。

──ダメな人が主流派じゃないですか(笑)!

pha そのまま卒業せずに辞めちゃった人とか、たくさんいましたね。熊野寮出身の人でパチプロの人がいたんですけど、その人が寮でゴロゴロしていたダメな人を、パチンコの打ち子として使うっていう団体を作ってたんですよ(笑)。寮のロビーに朝9時に行くと、その人がいて「じゃあ今から行くよ!」ってパチンコ屋に連れていかれて。もうドヤ街で人を集めるのと一緒なんですけど(笑)。そこでお金を渡されて、パチンコを打つと、時給1,000円で、開店から閉店まで12時間ずっと打ってれば12,000円もらえる、っていう仕事があって。それはダメな人が食っていくためのシノギとして重宝されてましたね。そんな感じで生活してる人がたくさんいました。

──聞けば聞くほど独特の環境だと思うんですけど。「もし熊野寮に入らない学生生活をしていたら、今の自分にはならなかったんじゃないか」っていう感覚はあります?

pha ありますね。

──それこそ「普通にサラリーマンをやってたかもしれない」くらいの?

pha そうですね。普通にサラリーマンをしていたかもしれないけど、でもサラリーマンに適性があるわけでもないので、嫌々サラリーマンやってたんだろうな、とか。

(伊藤ガビン)僕も中高が寮だったので、その影響はありますね。テレビとか一切見ないで、ずっと同級生と夜中まで遊んでたことことの延長で今がある感じがする。夜中にどっか行って掃除したりとか、酒を作ったりとか。インターネットとかないから、作り方も分からないで作るわけですよ。「寮のメシでブドウがいっぱい出たから、それを集めさせて、ワインを作ってみよう」みたいな。どうやって作るのか誰も知らなくて、「なんかテレビで見たら踏んでましたよ?」みたいな(笑)。思春期に生活を共にしちゃうと、そのノリは残る。

pha 京大にもどぶろくを作ろうとしてる人いましたね(笑)。京大の吉田寮で面白かったのは、狩猟免許を持ってる猟師の人がいて、ときどき山でイノシシとかシカとか獲ってきて、寮の前で解体してみんなで食べたりしてたんですよね(笑)。僕もおすそわけをもらって食べたりしました。そういう、スタンダードな道は歩いてないけどいろいろな生活をしている人がいた。その人はのちに『ぼくは猟師になった』っていう本を出してました。千松(信也)さんっていう人なんですが。

──今日のキーワードは「寮」ですね。

pha 確かに。ギークハウスなんかも「寮生活がずっと続けばいいな」っていう感じでやってるし、これが何歳まで続けられるか、ですね。寮は学生だから20代ばっかりだったけど、30〜40になって、そういううさんくさいオッサンがいっぱい集まってる共同スペースが日本のあちこちにたくさん増えていったら面白いなあ、と思っています。

pha(ファ)

日本一有名なニート。ギークハウスプロジェクト発起人。今年8月に初の著書『ニートの歩き方』(技術評論社)を刊行(特設サイトはこちら)。ニートなのに最近(執筆などで)働きすぎてしまったので、本の刊行を機にしばらく隠遁するつもり、らしい。
ブログ:「phaのニート日記
Twitter:@pha

前田隆弘(まえだ・たかひろ)

広域指定編集業。福岡県出身。ふだんは「TV Bros.」などで書いてます。はじめて死を意識したのは、小学生の時に見たドリフ映画の「いかりや長介が生きたまま火葬される」というシーン。喪失感よりもビジュアルから入ったクチ。

撮影:ただ(ゆかい) / 取材・文 : 前田隆弘

        
前田隆弘
前田隆弘
広域指定編集業。福岡県出身。ふだんは「TV Bros.」などで書いてます。はじめて死を意識したのは、小学生の時に見たドリフ映画の「いかりや長介が生きたまま火葬される」というシーン。喪失感よりもビジュアルから入ったクチ。

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