古来から「メメント・モリ(死を思え)」と言うように、人は生まれた瞬間から死に向かって生き続けます。生きるために死ぬのか、死ぬために生きるのか? 気になるあの人に死生観を聞いてきました。   ( 第1回から読む )

「何歳まで生きますか?」phaさんに聞く【前編】

「だるい」とか「めんどくさい」とかいう気持ちはもっと大切にされてもいいと思います。
悩んでる人はもっと適当に生きましょう。
どうせ人生に意味なんてないんだし。

(pha『ニートの歩き方』より)

死生観インタビュー、今回のお相手は日本一有名なニート・phaさん。ニートということを抜きにしても、「競争原理に価値を置かない、新しい世代の生活観」みたいなところで注目されているphaさんですが、果たしてどんな死生観を持っているのでしょうか。そのルーツと思われる京都時代の話も含めて語っていただきました。

phaさん

京都の原体験をベースに生きている

──phaさんは今の時点で、自分は何歳ぐらいまで生きるだろう、という感覚を持っていますか?

pha うーん……よくわかんないですね。全然想像できないです。僕、あんまり先のことに実感が湧かないんですよね。5年後とか10年後とか、本当にあるのかピンと来ないというか。「今が良ければいいか」みたいな感じで生きていて。今は割とふわふわした貧乏生活をしていて、「年取ったらそれだと大変だぞ」とか言われたりもするんだけど、あんまりリアリティがわかなくて「まあ何とかなるだろう」とか思ってるんですね。それと一緒で、いつ死ぬかもあんまり想像できないんですよ。

──その「何とかなるだろう」という感覚は、割とずっと前から思っている気持ちなんですか? それともそう思うきっかけがあったとか?

pha ずっと前からという気がしますね。生まれつき、くらいの感じで。根拠はないんだけど、昔から「何とかなるだろう」って思ってるんですよ。

──「生まれつき」っておっしゃいましたけど、環境の影響ってないですか? こうやって面と向かってphaさんと話してると、京都のBPMみたいなものを感じるんですよ。昔は京都に住んでたんですよね? 京都に住んでる人って、東京にはない独特のBPMを持っているような気がして。

pha ああ、それはある気がしますね。京都に住んでたのは、大学時代の5〜6年なんですけど、あれが原点になってる感じはありますね。東京に出てきてからも、あの時の原体験をベースにして生きてるなと感じます。

──具体的に言うと、どういう暮らしぶりだったんですか?

pha 大学の寮に住んでたんですけど、ボロい寮で。みんなお金がなくて、グダグダして、学校に行かなかったりして。「こういう生活でも人生楽しいし、別にそれでいいんじゃないか」って思ってましたね。

──京大で寮生活をしていた人は、みんなそれに近い感覚を持っていると思うんですけど、東京に来てもそれがそんなに変わらなかったというのはなぜだと思います?

pha 変わらないというか、それに近い環境を自分で作ったという感じですね。今、「ギークハウス」っていうシェアハウスをやってるんですけど、そこは僕が京都にいた頃の、ゆっくりした、ダラダラした感じを再現したいと思って作ったというのが大きいです。別に「東京に来ても」っていうか、どこに行っても変わらないんじゃないですかね。僕のまわりの人も、なんかそういう感じがしますね、京都にいた人は(笑)。

探せば逃げ場所はある

──今まで生きてきた中で、差し迫って「死にたい」と思ったことはありましたか?

pha 死にたいって思ったのはないですね、全然。

──それはつまり「今までの人生をわりと上手く渡ってこれた」ということでもある?

pha「なんかしんどいなあ」って思った時でも、「こうしたら良くなるんじゃないか」というのがあったら死のうと思わないと思うんですよ。僕はそうやって別の場所へ、別の場所へ、って逃げ続けてきて、それで何とかなってるって感じなので、「もう逃げ場所がないしどうしようもない」っていう状態にまだなってないですね。いろいろ失敗したり、行き詰まったりはしてたけど。

──今の話を一般化させて言うと、「『もうダメだ、死にたい』って思ったとしても、よく目を凝らして探せば、けっこう逃げ場所ってあるんじゃない?」ってことになるわけですかね。

pha そうですね。やっぱり切羽詰まると視野が狭くなって、いろんなものが見えなくなってしまう。「見えないだけで、他の道はいっぱいあるだろう」って思うんですよね。だから、「会社がすごいしんどくて死んでしまった」みたいな話を聞くと、「もったいないなあ」と思いますね。会社なんて別に辞めたっていいし、会社にいきなり行かなくなって「無責任だ!」って言われても、別に死ぬよりはマシだし。

──会社員を一度経験されてますよね。

pha ありましたね。

──ということは、会社員の経験の中で「自分を会社に従属させてしまうのは馬鹿らしい」みたいなことを実際に思ったことがあったんですか?

pha それは最初からずっと思ってましたね。

──最初から? 「追い込まれてから」じゃなくて?

pha 最初から会社は嫌だったんですが、「他に行く場所も思いつかないし、とりあえず一度やってみるか」ぐらいの気持ちで就職したんですよね。入ったらやっぱり合わなくてしんどかったんですけど。で、「なんとか抜け出したいなあ、まあ何か(方法が)あるだろう」と思って、いろいろ試行錯誤しましたね。バックパッカーをやってみたり、合気道を習ったり、ヨガをやったり、近所のカフェを手伝ったり。そういうことをやってるうちにインターネットにハマって、「ネットをベースにして生きていけばいいや」って思って、会社を辞めたんですけど。まあ、ずっと「逃げ場所がもうどこにもない」っていう感覚はなかったですね。「まだまだ試してないことがあるから、どこかに自分に合うところがあるはずだ」というのは常に思ってました。

──ここ最近、「ニート代表」みたいな感じで取材を受けられることが増えてますよね。phaさん自身は、こういう自分の生き方は特殊なものだと思いますか? それとも、わりと他の人でも真似できると思ってる?

pha うーん……けっこう特殊だと思いますね。僕のやってるのは、僕個人の能力とか、個性だとか、そういうのに乗っかってるものなので。ただ、そのまま真似はできないけど、何かのヒントにはなるだろうし、僕のやってるようなことをアレンジして何かやれば、いろんな生き方ができるんじゃないか、とは思ってますね。僕みたいにニートとか言ってフラフラ生きていくっていうのは真似できないかもしれないけど、会社にとらわれずに生きていくっていうのは、みんなもっと意識してもいいんじゃないですかね。

友達や知り合いのネットワークがあれば生きていける

──お話を聞いていると、なんとなく「人生に大きな期待をしない、過剰に意味を求めない」という印象を受けるんですけど、たとえば「人生は死ぬまでの暇つぶし」っていう言葉には共感を覚えるほうですか?

pha 誰の言葉でしたっけ? なんか聞き覚えがあるんですけど……。

──青山正明さん(*)の言葉だと思います。
(雑誌「危ない1号」などを創刊した編集者。2001年、首吊り自殺により死亡)

pha ああ、確かに言ってそうですよね。あの人は死んじゃったけど……。でも、「暇つぶし」と「希望を持つこと」っていうのは矛盾しないんじゃないですかね。僕も暇つぶしだと思ってますよ。それ以外に人生の意義は別にないと思ってます。でも意義はないけど何もしないのも退屈だから、いろいろ好きなことやって暇をつぶしてたらいいんじゃないかな、っていう感じですね。

──今こういう生き方をしていることについて、親から何か言われたりします?

pha あんまり連絡を取っていないのでよく分からないんですよ。どういう生活をしているか、よく知らないんじゃないですかね。

──自分の両親や祖父母が人生のロールモデルになるっていうことは、過去も含めて全然なかった?

pha ないですね。

──かといって「反発した」っていうことでもない?

pha 反発も特にしていないし。「関係ないな」っていう感じです。価値観も違うし、話も通じないし。あんまり家族にこだわりがないんですよね。

──「結婚したい」っていう気持ちはありますか? 要は、「完全に一人であることに耐えられるかどうか」っていうところをお聞きしたいんですけど。

pha 結婚はないですね。でも、一人であることに耐えられるっていうわけでもなくて、「友達や知り合いのネットワークがあればいい」って思ってるんですよね。結婚とか家族とか、苦手なんですよ。なんか閉鎖的な感じがしてしまって。

──ギークハウスのメンバーとはどれくらいの距離感で付き合ってるんですか?

pha シェアハウスの同居人って、家族ほど濃い繋がりじゃないし、もっとゆるい感じですね。一緒にごはんを食べたり遊んだりして、まあ仲はいいんですけど。それくらいのゆるさが居心地がいいです。理想としては家族みたいな強い結び付きじゃなくて、ギークハウスとかシェアハウスとか、あとはインターネットとか、そういうゆるいネットワークを張り巡らせて、その中に居れたらいい。それで寂しくないし十分かな、って思ってます。

一通りのことを経験して「人生だいたいこんなもんだな」

──今のままのスタンスでどれくらいの年齢まで行けると思ってますか?

pha 今は33歳なんですけど、「40歳くらいまではこんな感じでいけるかもしれない。けど、その先はよくわからない」っていうイメージがありますね。でもそれはその時になってから考えたらいいかなあ、っていう。あとまあ、「別にいつ死んじゃってもいいかな」っていうのもちょっとありますね(笑)。

──「死ぬのは怖い」って感覚はないんですか?

pha 「死ぬのは怖い」っていう感覚もあるんですけど、それと同時に「まあいつかは死ぬんだし、仕方ないよね」というのもありますね。30過ぎたくらいから「やっておきたいこととか、とりあえず一通りやったなあ」みたいな感覚があって。とりあえず就職してみたりとか……就職はそんなにしたくはなかったんだけど(笑)。あと、海外に住んでみたりとか、仕事を辞めてフラフラしたりとか。もっと若い頃だったら、「大学に行ったらどうなるんだろう」とか、「セックスしたらどうなるんだろう」とか、「彼女ができたらどうなるんだろう」とか、未来にいろいろ期待があったんだけど、そういうのをとりあえず一通りやってしまって、だいたい人生はこんなもんなんだな、っていう感覚がありますね。別に虚しいわけではないし、楽しいことは何回やっても楽しいんですけど、でもまあ「一通りやったから、この先これの繰り返しかな」っていう感じですね。

── 一度経験して楽しかったことは、「時間のある限り、もっともっと繰り返したい」って思ったりもしませんか?

pha 繰り返したいというのはあるんですが、それは際限がないな、とも思っちゃうんですよね。同じことを何回も繰り返してるうちに、結局どこかで終わるわけだし、それならどこで終わっても同じかな、って。永遠に残るもの以外意味がない、みたいな感覚があるのかもしれない。

──たとえば今年、何かの拍子で死んだとしても、そんなに悔いは残らない?

pha そうですね。悔いはあるんでしょうけど、まあ仕方ないし、それはどうせいつか来ることだし、っていう。まあ、生きてる方が楽しいんですけど、「今後これをやりたい」とか「ここにたどり着きたい」とかいう目標が特にないんですよね。現状に満足しているし、この現状が続いていく感じだったら、どこかで終わってもまあそんなもんかなあ、と。

──「生きていくことは基本的に楽しいんだけど、でも別にそんなに命がけで守るような、執着するようなものでもないよ」っていう感じ?

pha うーん……まあ、そうですね。死にたくはないし、できるだけ生きようとはするんですけど、どうせいつか死ぬんだったら一緒かな、みたいな。

phaさん

日常的に会わない人は、生きてても死んでても変わらないと思う

──ところで、3.11の地震やその後の流れで、何か人生観が変わったみたいなところはありますか?

pha いや、僕全然ないんですよね。

──じゃあ、あの時の過ごし方は……。

pha いつも通りでしたね。ずっと東京の自分の家にいました。東京もそこそこ揺れたけど、そんなに何かが壊れたわけでもないし、しばらくしたら普通に電車も動いて、電気も点いて。「別に大して何も変わらないなあ」って思いましたね。だから、他の人の「人生観が変わった」みたいな話を聞いて、「そうなんだ、よく分かんないな」って思ってたりするんですけど。現地で被害を受けた人が人生観変わる、っていうのは分かるんですよ。でも、東京にいたらあんまり変わらないんじゃないの、っていう。

──自分と近しい誰かが死んだことで、すごく落ち込んだりしたことっていうのはありましたか?

pha うーん……友達が自殺したのは、悲しかったですね。22歳くらいの時だったんですけど。それ以前にも祖父とか祖母が死んだりっていうのはあったんですけど、しょっちゅう会ってる人ではなかったので、それほどショックを受けてなかった。だから、わりと近くにいる人が死ぬっていうのはそれが初めてで。まあ悲しかったですけど、すごく落ち込んだっていうほどではなかったと思います。

──瞬間的な悲しさは別として、それに影響されるようなことはありましたか?

pha それで若干感覚が変わった、みたいなのはあるかもしれないですね。「わりと人って死ぬんだ」みたいな。

──それまでに経験した親族の死ではそういうものは感じなかった?

pha そうですね。日常的に会わない人は、生きてても死んでても変わらないような気がするんですよね。あまり衝撃がないというか。

──近くにいてコミュニケーションを取ってる人間じゃないと、実感がわかない。

pha 普段会わない人だと、死んでも別に自分の日常生活は変化しないので、実感が湧かないんですよね。ときどき思い出して、「あ、そういえばあの人死んでた」みたいな。で、やっぱり近くにいる人が死んだら寂しいのは寂しいんですけど……でもなんか、それもそんなに悲しくない気もするんですよね。かつて友達だったけど、その後会わなくなっちゃった人もたくさんいるし、何年も連絡取ってない人もたくさんいる。そういうのとあまり変わらないような気もします。……そう言えば、Twitterのあるユーザーの人が「自分が死んでも『死んだ』って誰もネットで書かないでほしい、そうすれば自分はネットの中でずっと生きられるから」って言ってたんですけど、それにはすごく共感するんですよ。Twitterでしか知らない人がたとえ死んだとしても、「最近更新ないなー、ネット飽きたのかな」って思うくらいだし、もしくはbotがその人になりすましてずっと同じような発言をしてたらそれでいい気もするんですよね。どうせ会うこともないんだし。

──いずれはみんな死ぬんだけど、自分が直接その死を確認できるのは実はものすごく限られている。果たして今生きてるのか死んでるのか全然わからない知り合いもいるわけで、それならその「わからない状態」のまんまでいいと。

pha Twitterでその人の過去の発言をずっとポストし続けるbotがあったら、読者にとってはそれでいいと思うんですよ。僕が死んだら僕のTweetをランダムに発言しつづけるbotを動かしておきたいし。そうやってbotと人間、死者と生者が混在しているタイムラインになったら、その状況は面白いなと思いますね。

他人って結局、取り替え可能だと思う

──死を確認できない外部の人間に対してはそうだとして、自分が直接死を確認できる人間の場合はどうですか?

pha さっき話したその友達が死んで、またそのちょっと後に別の友達が自殺したんですけど、「そいつは死ぬ前にすごい苦しんだんだろうな」って考えるとしんどかったですね。でも、いなくなること自体は「普段会えないようなどっか遠くに引っ越してしまった」っていうのと変わらない気がするんですよね。それはそれで世界は回っていくし、自分の生活はそれほど変わらないし、っていう。

──喪失そのものには、そんなに特別な感情は抱かないんですね。

pha 他人って結局、取り替え可能だと思うんです。誰か一人がいなくてもそんなに世の中は変わらない。一時的に喪失感があってもすぐに慣れる。恋愛とかすると「自分にとって大事なのは世界でこの人しかいない!」って思ったりするけど、またしばらくすると別の人を「自分にとって大事なのは世界でこの人しかいない!」って思ったりする。結局それは思い込みに過ぎないし、そのへんに虚しさを感じるんですよ。

──そういうの、ぶっちゃけ認めたくない感情もあるんですけど、突き詰めると確かにそういう部分はあると思います。

pha ネットをやってると人との出会いが多いので、いくらでも楽しい人や素敵な人と会う機会がある。誰かが死んだり遠くに引っ越したり性格が変わったりして身の周りからいなくなっても、すぐに他の代替になる人を見つけることができてしまう。だから、人間、死ぬ時は死ぬし、巡り合わせでそのとき周りにいる人を大事にするしかないと思うんですよ。人間が死ぬときってどうやっても救えなかったりするし。

pha(ファ)

日本一有名なニート。ギークハウスプロジェクト発起人。今年8月に初の著書『ニートの歩き方』(技術評論社)を刊行(特設サイトはこちら)。ニートなのに最近(執筆などで)働きすぎてしまったので、本の刊行を機にしばらく隠遁するつもり、らしい。
ブログ:「phaのニート日記
Twitter:@pha

前田隆弘(まえだ・たかひろ)

広域指定編集業。福岡県出身。ふだんは「TV Bros.」などで書いてます。はじめて死を意識したのは、小学生の時に見たドリフ映画の「いかりや長介が生きたまま火葬される」というシーン。喪失感よりもビジュアルから入ったクチ。

撮影:ただ(ゆかい) / 取材・文 : 前田隆弘

        
前田隆弘
前田隆弘
広域指定編集業。福岡県出身。ふだんは「TV Bros.」などで書いてます。はじめて死を意識したのは、小学生の時に見たドリフ映画の「いかりや長介が生きたまま火葬される」というシーン。喪失感よりもビジュアルから入ったクチ。

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