古来から「メメント・モリ(死を思え)」と言うように、人は生まれた瞬間から死に向かって生き続けます。生きるために死ぬのか、死ぬために生きるのか? 気になるあの人に死生観を聞いてきました。   ( 第1回から読む )

「何歳まで生きますか?」雨宮まみさんに聞く【後編】

自らの「生」と「性」に向き合った著作『女子をこじらせて』によって、今や「女子としての<生れ出づる悩み>を語らせたらこの人」というべき存在になった雨宮まみさん。その「こじらせ」は死生観にどのような影響を及ぼしているのか、たっぷりと語ってもらいました。3.11の受け止め方は、かなりの衝撃でしたね……。

雨宮さん

一年半引きこもってました

――これは「死ぬ」っていうテーマから離れちゃいますけど、全部ほったらかしにしたいなら「どこかへ失踪する」という選択肢もありますよね。そういうのじゃダメなんですか?

雨宮 失踪しても、結局お金がなくなったり、その場所にまた飽きちゃったりとかしたら、またすごいめんどくさいじゃないですか。海外で言葉が通じないのにチケット手配して、今日どこに泊まるのか考えて。旅行ってすごいめんどくさいですよ! そういうことを全部誰かがやってくれればいいですけど……。

――失踪するにも結局めんどくささはついてまわる(笑)。

雨宮 そうなんですよ。何もしたくない。けど何もしないとどうにもならない。

――生きている限りは、本当の意味で「何もしない」っていうことはできないですからね。

雨宮 そうですね。でも実際に、「なるべく何にもしないで生活してみようかな」って思って、一年半くらい引きこもりになってた時期があるんですよ。

――いつ頃の時期ですか?

雨宮 えっと、去年(2011年)の夏まで(笑)。

――けっこう最近じゃないですか(笑)!

雨宮 最近です(笑)。去年の夏まで引きこもってて、極力、外には出ない。いろんなものはネットで買う。家の近所に公園があるのに、公園にすらいかない。そんなで暮らしてて、すごい楽しかったんですよ。

――えっ、楽しかったんですか?

雨宮 楽しかった。気楽で。ネットの情報に異常に詳しくなって、Twitterの炎上とかを無駄にウォッチしてて、本当に廃人みたいな生活をしてたんですけど(笑)、それはけっこう楽しくて。

――その楽しかった一年半の引きこもり生活をやめたのはどうして?

雨宮 いろいろきっかけがあって。まず、「引きこもってたら彼氏ができない、」っていうのに気がついたのと。

――……まあ、そうですよね。

雨宮 直接的なきっかけは、その引きこもってる最中に、中村とうようさんが自殺した、っていうのがあって。私は面識もないし、特に熱心に追ってたわけでもないんですけど、けっこう自分の行く末としてリアルな例っていうか。雑誌も衰退していくし、書く場所とかだんだんなくなってくだろうし、家族が多分いらっしゃらなくて、一人で暮らしてて、っていうので、わりとリアルに想像できて。「ああ、これ死ぬな……」っていうか。

――こういう道を辿るな、と。

雨宮 「この仕事を成し遂げるまでは死ねない」とか思うこともないし、「自分が面倒みなきゃいけない猫とか子どもとかいなかったら、この世に自分をつなぎとめるものがなくて、けっこう死んじゃうかもな」と思って。死んでもいいんだけど、老後のこと考えてると、すごい暗い気持ちになって。「この先、生きてても何も楽しいことないんじゃないか」みたいに思えてきて。

 それで、「自分が生きてて楽しいと思えないのなら、積極的に楽しいことをやっていかないとダメなんだな」って思ったんですよね。それで、「めんどくさいけど外に出よう」みたいな。

――そういう「自分をこの世につなぎとめるもの」って欲しいと思いますか? 夫とか子どもとか。

雨宮 欲しくないかもしれない。なんだろう、普通に友達とか恋人とかは欲しいと思うけど、でもその人たちって別に自分がいなきゃ生きていけないっていうわけじゃない気がする。子どももそうですよね。すごい小さな赤ちゃんじゃなければ、誰かが何とかしてくれるって思うし。「何か飼わなきゃやばいかな」みたいな感じはあったんですけどね。「とりあえず猫とか飼っといたほうがいいんじゃないか?」っていう。

――とりあえず、って(笑)。

雨宮 やっぱり死ぬっていうことをそのとき意識したのかなあ。「死んじゃってもいいな」って思いつつ、「どうせ死ぬんだったら」っていう感覚もあるんですよね。「どうせ死ぬんだったらもっと楽しいことしたかったな」と思って、行きたかったところに行ったり。あんまり先のことを考えすぎるとつらいけど、とりあえず今楽しいことをする、っていうのだと、一週間二週間、一ヶ月二ヶ月くらいは楽しく生きられる。

――雨宮さんがもし長生きするとすれば、例えばマラソンで言うと最初から42.195kmを意識して走るってことではなく、「とりあえずあと500m、あと500m……」の繰り返しで、気づいたらフルマラソン走ってた、みたいな感じなるってことですかね。

雨宮 うん。たぶん私、その長距離が嫌なんだと思う。ダッシュしたいじゃないですか、ワーッて。「でも、ダッシュしたら息切れして、途中でリタイアしなきゃいけなくなるよ?」っていうのが、長生きのイメージなんですよね。今は全力でダッシュしてはいけない、体力を温存しておかねばならない、みたいな。それがもうすごい嫌。本当に今のことだけ考えていられるんだったら、老後を考えて落ち込むこともないと思うんですけど、結局考えちゃうほうだから、たぶん嫌なんでしょうね。

震災がきっかけで気楽になれた。

――「人と関わるのが億劫だ」という感覚と、「誰かとしゃべりたい、コミュニケーションしたい」という感覚は、けっこうみんな持ってるというか意外に両立すると思うんですが、引きこもりの間は「人と会いたい」っていう欲求はなかったんですか?

雨宮 その間、Facebookにすごくハマっていたので、「人との交流はFacebookだけでいい!」ってことになってたんですね(笑)。何もネガティヴなものが入ってこないし、「いいね!」とか押し合って、「うわあ、ちょう楽しい!」みたいな(笑)。だから、「人との交流はFacebookで十分」って思ったんですけど……。

――ですけど?

雨宮 ……セックスとかはFacebookでできないじゃないですか。

――ええ、まあ。

雨宮 「やっぱり対面で会わないとどうしようもない」っていうのがあって。「楽していられる人との交流はここまでだな」っていう気がしましたね。その距離感ってものすごく快適だし、気を遣いあえるし、その中ではドロドロした感じ、例えば自分のいないところで悪口言ってるみたいなことは全然入ってこないんですけど、踏み込んでちゃんと付き合うってなると、そういうことにも巻き込まれていく。でも、やっぱりそれでしか得られないものもあるんだな、って。やっぱり、人と実際に会うことで、すごい鮮烈な印象を受けたりとか、「ああ、面白かった!」みたいなこととか、ありますよね。

 ……でも、すごくうれしいことって、すごく悲しいこととか、すごいつらいことにもつながりますよね。おかしくなる人ってけっこう多いんですけど、いい人が急に誰かの悪口を激しく言い出したり、感情の均衡を失うときって、好きな相手が自分じゃない別の誰かに執着していて、それでおかしくなったりすることが多いじゃないですか。好きであることを引き受けると、その分のマイナスも絶対にあるっていう気がしてて。執着していると、それはけっこう怖いですね。それこそ、その人が死んだときって、発狂しそうになるんでしょうし。ものすごく危ないと思うんですよね。ものすごく危ないことを、みんなどうやって信じて生きてるんだろう、と思いますね。

 ……あ、いま思い出しましたけど、中村とうようさんの自殺の前にあれがありました。東北の大震災が。

――引きこもりを抜け出すきっかけの1つ。

雨宮 私、あのときすごい気楽になったんですよね。毎日、「自分死なないかな」とか思って生きてたから。でも、自分で死んだらみんなにすごい悪いし。

――地震の瞬間は引きこもりの最中?

雨宮 最中です。揺れてるときに、「ゆれた!」ってFacebookに書き込んでたっていうくらい、廃人(笑)。あんなに揺れてるのに、逃げもせず。しかも部屋着だからどこにも逃げられない、みたいな。

――逃げ出すときはファッション関係ないでしょう(笑)!

雨宮 そうなんですけど(笑)。あの時に家族を亡くしたり、家を失くしたりした人に対しては、すごい悲しい気持ちになったけど、自分は「無責任に自分で死を選ぶっていう方法じゃなくて、何かうっかりした事故とか、震災っていうどうにもならないこととかで、ハッといきなり死ねるのかもしれないな」と思ったんです。なんとなく60とか70とかまで生きるような気がしていたけど、「30とか40とかで急に死ぬかもしれないんだな」って思ったら、自分が長生きすることに対して、自分を養ってきちんとした生活を送らなきゃいけないっていう責任を放棄できるような気がして。すごく気楽になりました。

――震災についていろんな人のコメント聞いてきましたけど、そういう話を聞いたのは初めてです。

雨宮 なんか解放されたっていうか。躁転に近い感じだと思うんですけど、すべてに気力が満ちあふれて。あのときほど仕事が進んだことないですね。

世の中の役に立たないなら、主体的に楽しむしか生きる術はない。

雨宮  ……もうひとつ、いいですか?

――どうぞどうぞ。

雨宮 さっきの「死を意識した出来事」の話、思い出しました。2年前(2010年)の年末に、宇多田ヒカルの活動休止前のライブがあって。私、チケットが取れなくて映画館のUst上映を見に行ったんですけど、それにすごい衝撃を受けて。宇多田ヒカルのことがすごく好きなんですけど、それが人間の形で現れた瞬間に、「この人はものすごく貴重な才能で、万人に愛されてるし、誰もが素晴らしいと認めている、たぶん日本の歌謡界の誇る偉大な人なのに、自分と同じくらいの背丈と体を持った普通の人間なんだ」っていうことに、ものすごい衝撃を受けて。

――ライブの衝撃っていうより、宇多田ヒカルが肉体的には普通の人間であるということに衝撃を受けた。

雨宮 高いこところから落とせば死ぬし、車にひかれれば死ぬし、病気になれば死ぬし、ものすごいもろいじゃないですか。「こんな守られるべき存在が、そんなにもろいものなんだ」っていうことがすごく怖くなって。

――ライブをスクリーンで見ている最中に、急にそう思った?

雨宮 うん。怖かったです。あんなに巨大な才能が、自分と同じような乗り物に乗っている、っていうのが。そんなものに乗るのは、ちょっともうやめて!みたいな。もっと堅牢なものに……。

――乗り物? 移動の車とか電車とか?

雨宮 「人間の体」っていうものに乗ってるっていうのが、すごく怖くて。

――あ、そういう。

雨宮 病気にもならないでほしいし、死なないでほしいし。でも宇多田さんは実際に病気になったこともあるわけだし。

――人間ですからね。

雨宮 あの頃ちょうど桑田佳祐もガンになってて。私、桑田佳祐と山下達郎と宇多田ヒカルがすごく好きなんですけど(笑)、「この人たち本当に死んじゃったらどうしよう!?」と思って、すごく怖かったんですよね。自分とは違う素晴らしい人間だと思ってた人が、自分ともろさ的には同じっていうのがすごく怖かった。今でも怖いですね。

――「自分の肉体と同じもろさなのが怖い」って、怖さの置きどころがちょっと変わってると思いました。「ケガしないで」じゃなくて「もっと頑丈なものに乗って」っていうのも。

雨宮 もう、永遠の生命として君臨してほしいっていうか(笑)。

――さっき「お葬式に出ても、亡くなった人そのものに対して悲しんだことはない」っておっしゃってましたけど、仮に宇多田ヒカルがそういうことになったら……。

雨宮 …………考えただけで泣きそうになります(笑)。

――他人の生き死にに対してはすごく感情移入できるところがあるんですね。

雨宮 ありますね。なんででしょうね。宇多田ヒカルはもしかしたら「別に死んでもいい」って思ってるかもしれないじゃないですか。だけどやっぱりそのことはすごく悲しい。彼女が生きていることによって自分が恩恵を受けたいっていう気持ちとはちょっと違ってて。「どこかで幸せに生きててほしい」って思いますね。

――ライブに行ったことは?

雨宮 ないんですよ。見るのも怖いくらい。

――本当に神格化された存在なんですね。

雨宮 いや、人間だとは思ってるんですけど。人間だからこそ、日々の悩みとかがあるから、ああいう歌を書けてるわけで。そこはどうしても分割することができない。

――もろさとセットで生まれたみたいなものですからね。

雨宮 それはもう本当に。私、「攻殻機動隊」っていうアニメがすごい好きで、あれは「Ghost in the Shell」っていう英題なんですけど、ゴーストっていうのが魂で、それが人間っていう体の中に入っている。あれは、人間の体を機械化した世界なんですけど、その殻ってものすごいもろい、っていうのがすごい怖かった。頭蓋骨的なものを、宇多田ヒカルはもうちょっと強い素材にしてくれないかな、みたいな(笑)。けっこう簡単に割れるじゃないですか。

――割ったことないんでよく分からないですけど。もしかして、人間の体を「乗り物」って表現してたのは「攻殻機動隊」の影響ですか?

雨宮 それは宇多田ヒカルのUstを見たときにそう思ったことで。初めて、その殻がすごくやわらかくてもろいものだっていうことを実感した。ちょっと高いところから登場するステージだったんですけど、「そんなのいいから下ろして!あなたは大切な人なんだから!一人の体じゃないんだから!」って心配になっちゃって。完全に一人の体じゃないのに、それが命として均等であるっていうのが、すごく理不尽に感じましたね。私の命とか、宇多田ヒカルに比べたらもうゴミクズみたいなものなのに、それと同じくらいって……ちょっとおかしくない!?みたいな。

――公平なことが不公平、という(笑)。

雨宮 そうですよねえ。本当になんかもうムダな命だな、って自分のことをよく思うんですよねえ(笑)。世の中のために何か役に立つことは、まあたぶんこの先もないだろうって思ってて。役に立つこともないんだったら、あとは自分が主体的に楽しむしか生きるのびる術がないんですよね。でもやっぱり主体的に楽しむっていうことは、それなりにめんどうくさいことも引き受けていかなきゃいけないですからね。

   

雨宮まみ(あまみや・まみ)

ライター。守備範囲は「セックス&自意識&女のあれこれ」(@mamiamamiyaのプロフィールより)。女子としての生きづらさに真正面から向き合い、その半生を赤裸々につづった単著『女子をこじらせて』(ポット出版)は、2011年の刊行以来いまもなお「こじらせ女子」を中心に多くの反響を呼び続けている。アダルト総合情報サイト「mens Now(メンズナウ)」にて、「AV監督への33の質問」連載中。

前田隆弘(まえだ・たかひろ)

広域指定編集業。福岡県出身。ふだんは「TV Bros.」などで書いてます。はじめて死を意識したのは、小学生の時に見たドリフ映画の「いかりや長介が生きたまま火葬される」というシーン。喪失感よりもビジュアルから入ったクチ。

撮影:川瀬一絵(ゆかい)/取材・文 : 前田隆弘

        
前田隆弘
前田隆弘
広域指定編集業。福岡県出身。ふだんは「TV Bros.」などで書いてます。はじめて死を意識したのは、小学生の時に見たドリフ映画の「いかりや長介が生きたまま火葬される」というシーン。喪失感よりもビジュアルから入ったクチ。

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